再びラトヴィア(2006/06/16)
タリンの町並みは綺麗だ。旧市街で最も高い場所"聖オレフ教会"の塔60mからのパノラマは実に見事だった。噂に違わず素晴らしい。いや、予想以上だった。だがしかし、物価が高い。特に宿泊代が話にならない。ドミトリーですら一人2,500円近くかかってしまっては、すぐに散財してしまう。もうすこし、タリンの町やエストニアの他の地方都市なども訪れてみたかったが仕方が無い。逃げるようにして、朝早く町を出た。再びラトヴィアに戻る。
バスターミナルに行き、国際バスに乗り、ラトヴィアのリーガにまた戻る。タリンからリーガまで300kmの距離を5,6時間かけて走るのだが、料金は180クローン(1,890円)だ。バス代も決して安くない。バルト三国は2004年にEUに加盟してから、物価が上昇しているらしい。現地の人も大変らしく、物乞いの人にもよく声をかけられる。また、若者の交通手段といえば、ヒッチハイクがメインのようだ。道路脇で、自分の行きたい場所を大きな紙に書いて、高々と掲げているのをよく見かける。長距離の高い交通費を考えれば、それも納得がいく。
朝一のバスに乗ったので、正午にはリーガに到着した。物価の安い国なら、このまま一泊してから次のところへとゆっくり出来るのだが、やはりそうも言ってられない。リーガから2時間の近郊にあり田舎町の雰囲気が味わえるツェースイスという町に行くことにした。
ツェースイスに着いたのは、午後5時ごろだった。町に着くとなにか様子が違う。休みのお店が多く、町には人通りが多い。なにやらイベントか、もしくはフェスティバルが行われているみたいだ。町にあるインフォメーションで詳細を聞くと、なんと今年はツェースイス800周年の一大イベント中らしく、宿がまったく空いていないと言われた。一軒だけ宿泊可能なのは、この町から5km離れた隣町のホステルしかないらしい。そこ以外だと野宿しか方法が無いので、しかたなく隣町にまたバスで移動した。
そこはさらに田舎町だった。何も無いところだ。レストランはもちろんのこと、カフェすらないので、ホステルでキッチンを借りて自炊することにした。田舎といえど、小さいながらも買い物をするところはあったので、食材を買って野菜スープとシーチキンに卵を炒めた料理を作った。自炊したほうが安く、しかも自分の口に合うものが出来るので良い感じだ。物価の高い国では、自炊が得策なのかもしれない。
ツェースイス(2006/06/17)
昨日はツェースイスの一大イベントのおかげで、やむなく隣町での宿泊になってしまったので、今日はツェースイスへ戻る。宿替えの為だけの移動だと、簡単に考えていた。
宿を出て、ツェースイス行きのバス停留所で待つ。この停留所には時刻表などなく、何時バスが来るのかハッキリとわからない。宿のおばあちゃんの話によると、1時間ごとくらいにバスが来るそうだ。しかし40分くらい待っても、まったく来る気配がない。同じ場所で、ジッ~と待っているだけというのは性に合わないので、ツェースイスに向かって歩き始めた。途中でバスが来たら呼び止めて乗せてもらうつもりで、ハイキングの気分をもって歩いた。ツェースイスまでの6kmほどの道のりを歩けど歩けど、バスはまったく来ない。気がつくと、ツェースイスの町の東の入り口まで来てしまった。そのとき、ようやくバスの姿が見えたが、もう目的の宿は近い。バスに乗る必要は無いのだ。バス来るの遅いよ。
新しい宿は、一泊一人5ラッツ(1,050円)とラトヴィアにしては安い。ここの田舎町の雰囲気が気に入ったので、3泊ほど滞在しようと思う。それにしても6kmの距離といえど、15kg以上のバックパックを背負っての徒歩移動だから、思った以上に疲労した。このまま宿で休みたい衝動に駆られたが、まだ昼をまわったばかりなのに勿体無い。お腹も空いたので、すぐに町の中心に行くことにした。中心街は地図上で、宿から2kmも無い距離だ。MAPを持たずに、自分の勘のみで知らない町を歩き始めた。そう、簡単に考えていた。
少し歩くと、大きなマーケットがあった。店内に入るとキャンプ用品までも売っている。小型のテントが1,500円くらいで売っていたので、『これ買ってキャンプするのも面白いな、宿泊費も浮くし一石二鳥やな~!買う!?』など言いながら、店内を見て回った。今の宿にはキッチンもあったので、また自炊もできる。この店はツェースイスにいる間、よくお世話になるだろう。
店を出て、再び歩き出す。勘に頼って北に向かう。すると、線路が見えてきた。この線路沿いに歩いていくと、たぶん駅に着くのだろう・・・そう思い込んで歩き続けた。
3,40分歩いただろうか。線路沿いに歩いていたはずが、いつの間にか線路が見えなくなっていた。『なんか、どんどん自然が深くなってきてるんですけど!?』とリーに問うと、『もうちょっと北じゃないかな?』というので、言うとおり、さらに北に向かって歩いていると、もう見えなくなるくらい真っ直ぐな道、地平線が見えそうなくらい何も無い道しかない。どう考えても、おかしい。すでに5,6kmは歩いている気がする。しかも道を聞こうにも人の気配がない。この時点で、道に迷ったことに気がついて、来た道を引き返していった。気づくの遅いよ。
ずーっと戻って、最初のマーケットのところまで戻ると、衝撃の事実。マーケットの裏側がツェースイス駅になっていて、町の中心だった。実はものすごく宿から近い位置だった。再び僕らの阿呆さを認識した。朝の移動から、合計5時間くらい歩いたのと、精神的衝撃が相まってドッと疲れた。
打ちひしがれ続けてもしょうがないので、とりあえず昼食にする。セルフサービス制の食事処に行った。ここは指差した食材を皿に山盛りに入れてくれる。沢山頼んで2.5ラッツ(525円)だった。首都のリーガと比べて断然安いのだ。
食事をすると、疲労も吹っ飛んだ。旅に出て妙に体力(持久力や回復力)がついてきた気がする。すぐに観光をすることにした。まずは近くにあるツェースイス城址に行く。ここは1207年に帯剣騎士団が築いた城だ。城の丸い塔が比較的よく残っており、中世の雰囲気が漂っている。惜しいことに昨日や一昨日のイベント中には、ここで鎧甲冑をきた騎士行列みたいなものも見ることが出来たらしい。しかし後の祭りだ。
城の城壁内に入ってみると、受付のお姉さんが当時の民族衣装を着てのお出迎え。なかなかヨーロッパらしい持て成しだ。日本でも大阪城の受付にちょん髷結った侍がするとか考えればいいのにね。
城内では塔にも入って登るが出来る。内部はかなり暗い所もあるのでカンテラ(らんぷ)を持って登るのだ。気分はまさに中世。どこにでも蛍光灯を付けてしまう、どこかの国とは大違いだ。カンテラを初めてつかったけど、思った以上に明かりが弱い。かなり対象物に近づけないと何も見えないくらいだ。当時の闇夜の大変さが伺える。塔の内部は思った以上に入り組んでいて、何度も螺旋階段を上り下りしたり、S字型に曲がった通路もみられた。戦略的にワザと複雑にしているのだろうか。