「トルコ共和国」シルクロードを放浪した2006年の旅行記

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トルコ(2006/07/27-28)

朝、宿を出てイスタンブール行きのバスチケットを買ったオフィスに行く。ここでバスが来るのを待っていると、オフィスに来ていたお客さんのオバちゃんに話しかけられた。オバちゃんは英語・スロヴァキア語・ルーマニア語の三ヶ国語が喋られるらしい。すごいんだけど、英語がペラペラすぎて、ものすごい弾丸トークだ。オバちゃんの年齢とか生け花が好きとか自己紹介された。よくよく聞いてみると、どうやら1987年にあったらしいイベントで日本に来たことがあるようだ。早口すぎて内容が3割も理解できない。
『ブラショフに戻ってきたら、私の家に泊まりに来て。ルーマニアを案内してあげる。』と半ば強制的に住所と電話番号を書いた紙を渡された。最後までずーっとオバちゃんのペースで喋られて去っていった。台風のような人だった。オフィスの人も苦笑いするほど。

思えば、ブラショフは人が良く居心地がよかった。ネットカフェのオバちゃん、すぐに顔を覚えてくれて、行く度に「また私に会いにきてくれたの?」とか冗談を言ったり、マーケットのお姉ちゃんは、僕らがよく買い物に来るので、定価より安く売ってくれるなど、実に素朴で親切だ。郊外では未だに荷車を引くのに馬やロバを使っていたりする。どこの国でもそうだが、首都では人の心に触れる体験というのは少ない。こういった地方にこそ、その国の人を理解するのにはもってこいなのだろう。

イスタンブールへ向かうバスは午前10時半に出発した。トルコのバス会社はヨーロッパとは違い、車内サービスが良い。コーラやアイスクリームが配られる。びっくりだ。
6時間ほどで国境を越えてブルガリアに入った。ブルガリアは、なだらかな丘が続き、牛や馬が放牧されている緑豊かな国だ。綺麗なので車窓をずっと眺めていると、渓谷に沿って家が建ち並ぶ景色が見えてきた。どこかで見た風景だと思ったら、ガイドブックの写真で見た風景じゃないか。ここはブルガリアで行こうと計画していた地方都市のヴェリコ・タルノヴォ。ゆっくりと訪問することは出来なかったが、車窓からでも見ることが叶ってよかった。

深夜2時にトルコの国境に到着。ここでの国境越えは実に厳重でめんどくさい。一々バスから降りて、入国審査を受けた後、税関と手荷物検査があった。同じバスの乗客が手荷物検査で、免税範囲を超える多量のお酒を所持していたので、処分されていた。勿体無い、ジャックダニエルが10本も目の前で叩き割られる始末。あたり一面酒の臭いが充満した。

イスタンブールイスタンブールのモスク内

ルーマニアから20時間かけて、早朝6時にイスタンブールに降りた。もはやヨーロッパの面影は全く無い。車が道をゆずらない。歩行者は信号無視。お店に値札が付いてない(明朗会計でない、ボラれる)。水が臭く、トイレは穴が空いてるだけで、お尻は水を使って左手で拭く。まったくもってアジアだココは。でも何故か落ち着く、やっぱり僕にはヨーロッパは肌に合わないらしい。アジアの方が圧倒的に飯がうまいし。
トルコ人は陽気な性格で面白い。街を歩いているだけで、ガンガン声をかけられるが、相手はこちらの金目当てというのが多いそうなので、あまり相手にしないでおこう。

イスタンブールブルーモスクイスタンブールの水道橋それはともかく、アジアではレートも良く、時には徳をするほどトラベラーズチェックが役に立ったが、ヨーロッパでは恐ろしいほど役に立たなかった。両替手数料15%とか当たり前に言われる。トルコではまだ使えるだろうと思っていたが、実際聞いてみるとヨーロッパ以上に使えないではないか。20ヶ所ほど銀行を片っ端からまわったが、扱える担当者がほとんどいなく、ことごとく断られた。扱うことができても手数料20%などと頭の悪い事を平気で言う。今の時代は国際キャッシュカードだ。ATMなら大抵すぐに発見できて便利。おかげで、トルコリラを夕方まで手に入れることが出来ず、バスに乗ってから今まで36時間もロクに食事することが出来なかった。

イスタンブールの全景ボスポラス海峡リーはイスタンブールから日本に帰国する。航空券を買うために、色んな航空会社をあたったが、結局一番安いところはウズベキスタン航空だった。直行便ではなく、ウズベキスタンの首都タシケントでのトランジットとなるが、イスタンブール→関空で400ユーロ+TAX,$99となる。8月8日帰国便を購入。それまでに、トルコ各地を周る予定。

カッパドキア(2006/07/31-08/01)

夜8時発の夜行バスに乗ってイスタンブールを出る。昔から行きたかった場所、カッパドキアへ。カッパドキアは世界に類を見ない奇岩の風景が広がっているトルコ観光のハイライトのひとつだ。

火山の噴火による火山灰の地層によって造られたカッパドキアには、キノコ岩などの奇岩だけでなく、興味深い事に地下都市があるらしい。まるで蟻の巣のように入り組んだ地下都市は二つあって、それらカイマクルとデリンクユは、なんと地下8階まであり一万人以上の人が住んでいたという。さらにカイマクルとデリンクユは10kmほど離れているが、共に地下通路で繋がっているという説もあるくらいだ。これはこの目でぜひ見てみたい。

トルコのバスに乗るのはこれで二度目だけど、トルコのバス会社のサービスは世界一なんじゃないかと思う。運転手の他に世話役の人が二人も付き、ジュースやコーヒー・紅茶のサービスは当たり前、DVDで映画も放映するし、車内の床は絨毯を敷いた綺麗な車両の場合もある。あと、驚いたのは休憩後のバス発車前に入念な人数チェックをしていること。今まで、アジアはもちろんの事、ヨーロッパでさえも人数チェックが適当だったので、休憩時間内にバスに戻ってこなかったら、そのままおいていかれる危険性があったのだが、トルコでは安心してトイレに行くことができる。

カッパドキアのギョレメカッパドキアのキノコみたいな岩ちょうど12時間後の朝8時にカッパドキアのギョレメという町に着いた。宿を二泊とり、部屋で少しくつろいだ。でもまだ午前中。夜行で目的地に向かうメリットは、宿代がうく事と着いたその日に観光が出来る余裕があることだ。さっそく、カッパドキアを観光する。というか、ギョレメの町自体がカッパドキア内にあるので、もうすでに目の前にニョキニョキと大きな奇岩が生えてる。ギョレメから5kmほど離れた岩山に穴を掘って人が住んでいた跡のあるローズバレーに登ってみると、あたり一面奇岩が林立する展望だ。なにこの見れば見るほど奇妙な風景は。まるで火星かなにか別の惑星にいるような感覚。いま地球にいるとは思えない。

岩山に穴を掘って人が住んでいた跡のあるローズバレーカッパドキアのローズバレーローズバレーの奇岩群からギョレメに向かって帰り道を歩いていると、荷車を馬に引かせた農家のおじさん風の人に「ギョレメまで乗るか?」と声をかけられた。せっかくなので、乗って帰ることにした。道が砂利道だったので、かなり揺れて恐いしお尻が痛かった。
明日は、レンタバイクで地下都市に行ってみようと思う。

地下都市(2006/08/02)

レンタバイクで地下都市まで、なんと原付二人乗りだ。トルコでは100ccまでなら免許が無くてもOKらしい。レンタル料金節約のために二人乗り。見た目はめちゃくちゃボロいけど、なかなか走ってくれる。今滞在中の町ギョレメから地下都市の"カイマクル"まで30kmぐらいあるが、景色が素晴らしいので、移動も苦にならない。それにツアーに参加するよりは、見たい景色があれば止まってゆっくり見る事も出来るから自由が利く。

地下都市カイマクルは、まるでというより、そのまま蟻の巣が巨大化したようなところ。自分が蟻になった気分が味わえる。

地下都市カイマクルでは内部に付いているランプが地下三階までしか無いので、これ以上進みようが無い。さらに先に行けないことは無いが、本当に真っ暗闇で怖すぎる。ライトを持たないととても進めない状態だ。
こんなに複雑に地下道が入り組んでいるなら、未だ発見されていない通路もおそらく沢山あるのだろう。そのため、地下でカイマクルと10km先のデリンクユが繋がっているかもしれない説が浮上してくるのも納得がいく。ガイドブックには、これら二つの地下都市しか書いてなかったが、これ以外にも3つの地下都市があるみたいだ。インフォメーションでもらった地図には記載されていた。もしかしたら、もっと沢山の地下都市が未発見のまま埋もれているかもしれない。

地下都市カイマクル次はここよりさらに10km離れた地下都市"デリンクユ"の方に行ってみる。こちらはなんと地下八階まで降りていくことが出来る。内部は迷路状になっており、案内板がないと本当に迷ってしまう。これでも一部しか公開していないというのだから、相当な規模だ。本当に町がまるごと地下に移転すると、こんな感じになるのだろう。それにしても階段の天井が低く、ずっと中腰で進んでいかなければならないので腰が痛い。おそらく敵の侵入を防ぐためにあると思われる、回転石扉などもあるので、天井はワザと低くしているのだろう。
地下都市デリンクユ地下都市探索は実に面白い体験だった。世界でココにしか無い、これぞまさに世界遺産とよべるものだと思う。

ちょうど日も暮れかけている。帰りぎわに夕日のベストポジションと言われる"ウチヒサール"というところに行った。ここでは高く大きな岩場になっており、上からの眺めは360度カッパドキアを見渡せる。
ウチヒサール縦横に走る渓谷とそこに生えるキノコの形をした奇岩が、夕日に照らされている。見たこともない幻想的な風景。夕日が沈んでいくにつれて色合いが刻々と変わっていくのが、なんとも言えない感動を覚える。しばらく時間を忘れて見入っていた。
ウチヒサールからの夕焼けに沈むカッパドキアの眺め

最大の天然石灰棚(2006/08/04)

またまた夜行バスで移動。今度は真っ白な天然石灰棚と古代ローマ遺跡がある"パムッカレ Pamukkale"に行く。トルコのバスは盗難などが多いなどとガイドブックには書かれていたが、まったくそんな気配はなく、安全そのものだ。しいて気にくわないところをあげるなら、休憩時間が長いことくらいだろうか。トイレ休憩で30分程も停車している。

カッパドキアから10時間かけて、パムッカレに早朝到着した。ホテル斡旋も生業にしているらしいバスの運転手から宿の勧誘をされた。わざわざ最新号の"地球の歩き方"を持ってきて、『この本に載っているから大丈夫。安いよ。』とまでいう。別に泊まる所も決めていなかったので、とりあえず部屋を見せてもらうことにした。行ってみると石灰棚が真正面に見える良い部屋だ。料金を聞いてみると一泊二人で25YTL(2,000円)もするが、リーにとっては最後の旅行地ということで、ちょっと贅沢にこの部屋に2日間泊まることにした。ついで嬉しいことに、HOTELの奥さんが日本人で、ホテルの食堂では日本料理の特別メニューがあった。誘惑にまけて半年振りに雑炊を食べた。うまい!やっぱり日本食が一番。

パムッカレに着いたのが、早朝なのでまだまだ時間はたっぷりある。さっそく白い石灰棚を見に行く。パムッカレの石灰棚は源泉から流れ出る石灰分を含んだ温泉水が、いくつも段を作って流れ、見事な白い棚を作っている。写真でよく見る石灰棚はほんの一部で、実際に見ると予想以上に規模が大きい。まるで山一つがすべて石灰で覆われているかのようだ。上から流れる温泉水はいくつもの棚を乗り越えて下まで流れ落ちていく。棚に溜まった水は青緑色をしていて、白い石灰棚に良く映えている。しかし、白い石灰質を保つためなのか、水の流れを調節しているので、水がまったく流れていない石灰棚が数多くある。それらの表面は乾ききっていて、ただの白い岩場にしか見えない。すべての棚に水を流せばもっと綺麗なんだろうけど、景観保護のためならばそれもしかたない。

パムッカレの石灰棚石灰棚は基本的に土足厳禁だが、一部の石灰棚には裸足で入ることが出来る。昔はどの石灰棚にも入れたらしいが、世界遺産となった今では、入られる場所が限られてしまった。裸足でゴツゴツした石灰の岩場を歩くので、実は結構痛い。でも足裏の角質が取れて、温泉で足つぼマッサージしているんだと考えれば健康には良いかもしれない。

古代ローマ遺跡ヒエラポリスその石灰棚の台上には古代ローマ遺跡"ヒエラポリス"がある。円形劇場やアポロ神殿の跡があり、現在でも発掘調査が行われている。なかでも面白いのは、地震で崩れ落ちた遺跡を温泉プールにしてしまった所がある。遺跡を温泉に利用してしまうとはいかにもアジアチックではないか。ちょっとのぞいてみると、水深5mほどの底に円柱などの遺跡が本当に沈んでいる。水中眼鏡で潜って見ている人達もいる。入るのに18YTL(1,450円)とかなりお高いけど、一度は入ってみたい。

遺跡の沈んだ温泉(2006/08/06)

パムッカレは本当に日本のひなびた温泉地のようだ。落ち着いていた雰囲気のある村には、石灰棚から流れ着いた温泉水が側溝を流れている。その音がなんとも日本的で気分が安らぐ。日帰りで訪れる人が多いようだが、ここは是非逗留していくべき場所だと思う。今日は、夜行バスでイスタンブールまで戻るので、パムッカレ最後の日。なので、入りたかった遺跡の沈んだ温泉に行く。

パムッカレの遺跡温泉温泉といっても温泉プールなので、当然水着で入る。プールは思ったより広く、水深は遺跡の崩れによって出来た高低さがそのまま深さになっている。小さな子には危ないが、だいたい1m~5mくらいも場所により深さが変わるので面白い。水中から古代ローマ遺跡の円柱が飛び出していたり、水深5mの底には、倒れた円柱によって海底に出来た、遺跡の橋をくぐったりできる。ゴーグルがあると本当に楽しい。温泉には常時気泡が出ていて、舐めてみると炭酸だ。天然炭酸泉で肌が滑らかになりそう。でも石灰成分を多量に含んでいるせいか、温泉から上がったあと入念にシャワーで洗い流さないと結構臭うのが難点かも。

夜行バスに乗り、翌朝イスタンブールに着いた。やっぱりここは蒸し暑い。カッパドキアやパムッカレほど暑くないのに、湿度が日本と同じように高いので、汗が噴出してくる。過ごしにくい土地である。

さらばじゃ(2006/08/08)

今日はリーが日本に帰る日。リーの残金はほとんど零に近い。よくまあ、初めての海外旅行でここまでついてこれたものだと本気で感心する。正直50万に満たない所持金で、半年以上も旅行を続けられるとは僕も思っていなかった。当初の僕の予想では中国あたりでリーが脱落する予定だったのに、面白いように予想を裏切ってくれた。しかも東と言えどヨーロッパも周ってこの金額は良く頑張ったと思う。一日一食、出来る事なら自炊、移動は夜行が殆どだった。本当に頑張った。僕もリーにあわせてすごく頑張った。でもリーが帰ったら、もっと楽をしよう。

今日はラストなので、もっとゆっくりとした日にしてやりたかったけど、今までカメラで撮ってきた写真データがなんと11GBもあり、ぜひ写真データをリーに持って帰ってほしかったので、DVDにライティングできる写真屋やネットカフェを探し回った。僕は僕でシリアビザを取得する為に必要なレター(添え状)を日本大使館に取りに行ったりしていたので、今日はあまりリーと顔を合わせて話すという余裕があまり無かった。ちょっと可哀相だったかも。

空港まで見送りに行った時、リーは『日本に帰ったら、一緒に焼肉食いに行こうぜ!』を最後の言葉に、空港の出国ゲートに消えていった。リーの頭の中はもう日本食で一杯だったようだ。僕もエジプトあたりで長旅を切り上げようと思ったり、思わなかったり。たぶん、あと2ヶ月ほどだろうか。日本に帰ったら、まず寿司を腹いっぱい食いたいなぁ。 では、誰が流行らしたのか知らないけど、変なトルコ人が使う日本語でのお別れの言葉で締めくくろう『さらばじゃ!またなー』