「シリア・アラブ共和国」シルクロードを放浪した2006年の旅行記

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シリア・アラブ共和国(2006/08/11-12)

トルコのイスタンブールからさらに南へ、アラブの国、シリアに向かう。魅惑のシリア・アラブ共和国は昔から行きたかった場所、砂漠にある巨大なオアシス都市であった遺跡"パルミラ"がある。ということで、行ってきます。初めて駱駝に乗れるかも。

交通手段はお決まりの夜行バス。夜行バスなのに午後2時発、早いよ。夜行バスなんて、もう慣れたもんだと思いきや、隣の席が運悪くワキガのひどいトルコ人だった。まるで拷問、頼むから腕上げんな!ちょっ、なんで腕上げて寝るんだ?お前は。という脳内つっこみを一晩中続けていたので、まったく寝てません。しかも、バスは直行でシリアまで行ってくれるんだと思っていたのに、2回も乗り換えさせられる始末。でもワキガ君から解放されたので、文句は言えません。

そうこうして不眠不食のまま、シリア国境に着いた。国境越えはもう数十回経験している。ふらふらでも慣れたもんだ。乗り換えたバスで会った日本の大学生と一緒に出入国審査をした。彼は陸路国境越えは初めてだそうで、緊張した面持ち。でもここの国境は機械的に処理しているだけなので、パスポート見せるだけで問題無く終了した。それでも彼は、長時間審査待ちの列に並んだことで、『国境越えっていつもこんなに大変なんですか?』と聞いてきたので、『賄賂渡さないとピストル突きつけてくる国境もあるよ』と脅しておいた。性格悪いな。

話し変わって、『ヤポン?(日本人)』『チナ? or チン?(中国人)』『コリア?(韓国人)』と大体同じくらいの割合で今まで言われてきたのに、最近は変わってきた。何故か『フィリピン?』と言われる。今日なんて三回もフィリピン人に間違われた。なんで?肌が焼けて色黒になってきたから?今日出会った大学生も、僕のことを日本人と思ってなかったようだ。なぜだ!?しかも『イタリア人?』や『アメリカ人?』も言われる時がある。アジア人種ですらないぞ。

そんなこんなで、結局トルコとの国境近くの町であるシリアの"アレッポ Aleppo"に到着したのは、なんと27時間後の午後5時だった。中国→キルギスの鬼の国境・イルケシュタム峠越えに次いでの長時間。すでに銀行が閉まっていたので、両替ができない。でも金が無いと話しにならないので、久々に闇両替をした。ATMもないんだから仕方ない。レートは良かったんでまあよしとしよう。

シリアの貨幣シリアに来て、すべての表記がアラビア文字になった。何て書いているのかサッパリ見当つかない。数字も元祖アラビア数字。0は【・】で、123までは何となく理解できる。しかし、4は【3】を鏡で写したように逆に書き、5は【0】、6は【7】に似ているし、7はローマ数字の【Ⅴ】みたい、8は【Ⅴ】を180度回転させた形、9はそのまま【9】、すぐに覚えられそうだけど、結構【0】をそのまま0と勘違いしてしまいがち。そう答えは5だ。お札もアラビア数字で書いてあるから、覚えないと話にならない。今日はさすがに疲れた。そんなアラビア語の勉強とか観光は明日にして、おやすみなさい。

難攻不落のアレッポ城(2006/08/13)

シリアは驚くほど物価が安い。今まで旅してきた国で一番安いんじゃないだろうか。安宿だとシングルでも1泊400円くらい、ドミトリーだと200円くらいで泊まれる。ソフトクリームは5シリアン・パウンド(Syrian Pound)=11円。おまけに人はすごく親切で素晴らしい。なにこの国、長期滞在しようかしら。1日500円あれば十分暮らせるよ。

今日は観光の日。観光の日ってなんだ?気にしないでください、起きて飯食っただけとかの駄目人間の日があるだけですから。日記の日付が飛び飛びなのは、そのせいらしい。他にも洗濯の日とか、インターネットの日などがある。

シリアアレッポのスークアレッポで観光といえばアレッポ城しかない。アレッポ城は深さ22mの堀に囲まれ、周囲が約2.5kmの難攻不落の巨大な城塞。12世紀の十字軍や、13世紀のモンゴル軍、14世紀のティムールの侵略にも耐えたといわれる。
城に行くまでの途中には、小ぶりの石で組まれた屋根を持つ路地が1kmほど、中心街から城に向かって細かく延びている。そこはスークと呼ばれ、日用雑貨や貴金属、香辛料や絨毯など様々なものが売っている市場だ。そのスークを通り抜けて、アレッポ城に向かった。スーク内の道幅は思ったより狭い。狭いのに人がごった返して、なかなか前に進めない。こんなに狭いのに、ロバの荷車が横を通ったりする。しかも道が迷路のように入り組んでいるので、本当に迷った。何度目かの行き止まりを引き返しては進んで、ようやくアレッポ城の堀に着いた。

シリアのアレッポ城門アレッポ城はお椀を逆さにしたような城だ。全体的にパッと見はそんなにカッコよくない。しかし城の入り口の門は均整のとれた石組みが印象的で美しい。入場料は通常150SPだが、学割が効いて15分の1の10SP(22円)だった。安すぎ!アレッポ城の内部は修復前といった感じでグチャグチャのまま、崩れた城壁の縁を歩いたりできる。危ないけど面白い。残っている内部に降りていったり、モスクの屋根に上ったりと、まるで廃墟探索しているかのようだ。城が大きいので、時間をかけて探検していると、シリア人の3人組の男の子から、写真撮ってとせがまれたので、撮ってやった。撮った写真を液晶画面で見せると、ものすごく喜ぶので何枚も撮ってやった。楽しい国だなシリアは。歩いていて5分と『Hello!』など声をかけられないことはない。最初は一々返事するのも面倒だと思っていたけど、最近は声かけてもらわないと寂しく感じるようになってきた。

アレッポ城からのアレッポ市街地の眺め僕は今まで大変な誤解をしていた。日本での中東情勢の報道は、少なからずアメリカ寄りだったようで、中東は凄く物騒な国というイメージが頭に植え付けられてしまっていた。なので、少し心の準備をしてシリアに入ったのに、誰も彼も人当たりが良いし、少しでも道に迷った素振りをしていると、こちらから声をかける前に、5秒もしないうちに『どうした?』と人が集まってきて助けてくれる。東洋人が珍しく、それだけ目立ってるのかもしれない。また、中央アジアみたいに本物の警官が悪人ということもない。むしろ話してみると凄く親切だ。今日はバス停の場所を親切に教えてくれた。つまり、治安が驚くほど良い。まあ、パルミラなどの観光地や、首都のダマスカスではまた違うのかもしれないけど。

非常に陽気なシリア人なにが言いたいのかといえば、こうしたアラブ諸国をテロリスト国家だと思い込んでいる人が殆どだと思うけど、ちょっと考え直してあげて欲しいのです。今日たまたま食堂で写ってたテレビを見て思ったわけです。イスラエルのレバノン空爆の報道がずっとながれていました。もちろん犠牲者は一般市民、小さな女の子も血まみれで倒れていました。そういう報道を食堂で同じく食べていたシリア人達は、誰一人何も言わず、悲しそうにジッとテレビを見ていました。この人達にとって、他人事ではないのです。イスラエルと平和条約を結んでいるヨルダンやエジプトと違い、イスラエルに対するアラブ諸国の前線国家としてレバノンと同じ立場にあるシリアは、いつ首都のダマスカスやアレッポを、イスラエルに奪われたゴラン高原のクネイトラのように跡形も無く爆撃されてもおかしくない。彼らは何を思っているのだろう?エルサレムを奪回したサラディーンのような英雄が再び現れるのを願っているのだろうか。それともヨルダンのように平和条約を結びたいのだろうか。
アレッポ城の大きな門こういった状況を目の当たりにしてしまったので、今日はちょっと複雑な思いを巡らせていました。いまこの日記を書いている時にも、モスクからアザーン(礼拝時刻の呼びかけ)が聞こえてくる。いや~宗教って難しいわ。

巨大水車の町(2006/08/14)

アレッポから2時間ほど南にいったところに"ハマ Hama"という町がある。巨大な水車が何基も回っている町だ。そんな町は名前すら知らなかったのだが、宿にあった情報ノートに、「すごく良かった是非行ってみて」なんて書かれていたので興味を持ったのがきっかけ。ハマに行ってみようじゃないか。
ハマまで行くバスは綺麗な大型バスで、エアコンがガンガン効いてる。それにお手拭やお茶、キャラメルなどのお菓子が配られる。サービスは中々良い。それなのに、料金は75SP(167円)あんた安すぎ。儲けあるんかいな?

荒涼とした大地を走って2時間後、ハマのバスターミナルに到着した。けれど、中心街までどうやって行くのか、わからない。ガイドブックの地図を見て、眉をしかめていると、三秒も経たないうちに『どうした?』とオジサンが道を教えてくれる。親切な人ばかりだ。
『この道を真っ直ぐいって左だ』とジェスチャーで教えてくれた。距離はどうも遠いらしい。『タクシーで行ったら?』と言われるが、『歩くの好きなんで』と歩いていくことにした。僕は冗談抜きで歩くのが好きだ。自分の足で歩くことで、その町の様子が良くわかるし、町の地理が自然に頭に入ってくる。おまけに体を鍛える事が出来るなんて最高じゃないか!という話をリーがいた頃にしたら、『それはマッチョ思考というんだ』と言われた。誰がマッチョだ。

というわけで、20kg近いバックパックを背負ってトコトコ1kmほど歩いていくと、分かれ道になった。これを左に行けばよいのかな?わからんっ・・・と眉をしかめる前にキタ。声かけてきたのは15,6歳くらいの少年達10人くらい。『Hello!』と言われたので、『ハロー、水車にはどうやって行くの?この道であってる?』と聞いてみると、『案内するから、ついてきて』と言われてしまった。近いのかな?そこまでしてもらわんでもいいんだけど、まあいっか。と連れて行ってもらうことにした。少年達は聞いてくる『ジャッキー・チェン?ブルース・リー?』両方とも日本人ちゃうって、でも否定するのもなんなので『そうそう、ジャッキー・チェン,ブルース・リーだよ』と言い『ホワッチャー!アチャー!』と蹴るマネをしたら、すっごい喜ぶ。なんか10人全員から自己紹介されてしまった。その度に『Hello、イズモ』『Hello、サーマル』『Hello、アブドゥラ』...とか一々返事してあげる。名前の発音が難しい!三回くらい修正させられる。
シリアの子供たちそういうことをしながらトコトコ..トコトコ..30分くらい歩いたところ、水車が見えてきた。水車は遠目で見えてるのに、ワザワザ水車の真ん前まで案内してくれた。『ここだよ!』ものすごい笑顔だ。こちらも最大限の感謝の気持ちを伝えて、お別れした。少年達を見送ってると、なんと来た道を引き返してるではないか。ワザワザ見知らぬ外国人のために30分もついやして・・・。なんか感動した。

シリアのハマ水車シリアのハマにある世界最大の水くみ水車宿に荷物をおいて、ちょっと観光に出かける。ここは砂漠の国に不釣合いなほど緑が多い。昔からオアシスの町だったんだろうか。緑色をしたオロンテス川には直径20m以上の巨大な水車が、あちらこちらでギシギシと重そうに音をきしませ、水しぶきをあげながら回り続けている。この町は1982年、イスラム同砲団とシリア政府の対立時、政府軍の爆撃により一万人以上の人々が殺されたという歴史があったらしいが、今ではそういった生々しい傷跡はほとんど残っていない。むしろ落ち着いた良い雰囲気の町だ。

ハマの水車ギシギシ音を立てて回るシリアの水車本当にシリア大好きになってしまいそう。人はここまで親切になれるんだろうかか。正直、驚いている。今日は、おそらく100人ほどの人達と挨拶を交わした。20人くらいと会話にならない会話をした。そして10人くらいと写真を撮った。話してみてちょっと判ったことは、彼らは東洋人=ジャッキー・チェンやブルース・リーと思っている節がある。カンフーや空手ができるのが当たり前らしい。あと写真を撮ってくれっていうのが多い。イスラム圏って写真撮られるのは極度に避けるものだと思っていたけど、そうでもないようだ。
オロンテス川で遊ぶシリアの子供たちそういう訳でシリアでは、すれ違う人と挨拶を交わすのが当たり前みたいな状況になっている。まさに目から鱗。見知らぬ人でもニッコリ挨拶を交わすと、なにか清清しい嬉しい気持ちになってくる。本当はこれが本来の人の暮らしの営みの自然な形なのかもしれない。日本の都市部での「他人の事なんて知らない。自分は自分だ。」みたいな個人主義が捻じ曲がったようなのは、やっぱり異常なんだろう。

クラック・デ・シュバリエ(2006/08/17)

シリアは飯が不味い。これは致命的だ。長期滞在しようなんて気はまるっきり無くなった。なぜ彼らは同じものを毎日毎日飽きずに食べられるんだろう。レパートリーの少なさは似たようなものだけど、中央アジアの方が酒が大っぴらに飲めるだけあって、味は美味しかった。でもシリアは酷い。チキンと羊肉しかない。ファーストフードのケバブもチキンケバブだ。ライスもあるけど、なんか臭い。サラダはキュウリとトマトだけ。しかも出てくる量が半端じゃない。鳥の丸焼きとか一人で食えるかぁー!!しかも本当に丸焼きにしてるだけで、あまり美味しくない。でもそれで100円とかだから文句は言えない。

それでも、吐きそうになりながらモソモソと丸焼きを頑張って食って部屋に戻ったら、物凄い勢いの下痢になった。原因がよくわからない、生水飲んだからなのか、鳥の食いすぎなのか、ソフトクリームとカキ氷を暑い中一気食いしたからなのか、はたまた水分の取りすぎなのか。一日に12回もトイレに行ったのは、今まで生きてきた中で最高記録だ。もう治ったけど、当分鳥は食いたくない。

下痢の話は置いといて、今日はハマよりさらに50kmほど南に進み"ホムス Homs"という町に移動する。このホムスの町自体には何もないのだが、この町から西に50kmほど行った場所に"クラック・デ・シュバリエ Crac Des Chevaliers"という古城が残っている。この城は、十字軍が残した多くの城の中でも保存状態がよく、美しいと評判らしい。ぜひ、見に行ってみたくなった。

ハマからホムスまでは、ミニバスで約1時間。ホムスでまたミニバスに乗り換えて、1時間後にクラック・デ・シュバリエに到着した。料金は相変わらず安い。25SP(56円)だった。

クラック・デ・シュバリエこの二重の防壁を持つ城は、急勾配の丘の上にあり、城壁の上からはシリアの穀倉地帯が何十キロ先まで見渡すことができる。城内は自由に歩き回ることが出来る。何十メートルもある城壁の上も歩くことが出来るが、安全柵は無いので足を踏み外すと間違いなく死ねる。脆く崩れかけの所沢山あるので、そこら中に死の危険がいっぱいだ。

クラック・デ・シュバリエは登り放題城内では、何度かシリア人達と挨拶を交わしたが、その中のオッサン一人が僕を探してたといった感じで戻ってきた。なんだか妖しい目つきをしている。そして、握手してきておもむろに出てきた言葉が『やらないか?』(は?・・一瞬頭が真っ白になる)そして、『ウホッ!... じゃねぇ!!No!No!No!NOォォォォ!!!!!』と腕を振り払って逃げに逃げた。ゲイだった。イスラム圏ってやっぱり、そういうの多いのだろうか。ハンガリーのハマム(公衆浴場)もゲイの社交場で有名らしくて、怖くていけなかったし、いまもシリアのハマム、怖くて行く勇気ない。『手だけでもOKだからぁ~~』とか後ろの方で小さく聞こえた。やめれー!全身鳥肌ってこのこと。今日初体験した。もういい、忘れたい・・・・。トラウマになりそう。

クラック・デ・シュバリエ内部気分転換に一番高い城壁の上で、心地よい風にうたれていたら、なんか見たことある顔の人が城内を歩いている。声をかけるとやっぱり間違いなかった。シリア国境で一緒に出入国審査をした日本人大学生だった。聞くと、彼はもうすでにパルミラや首都のダマスカスなど、シリアの見所はほとんど見て回って、後はトルコに戻るということらしい。行程早すぎだ。移動して1泊、移動して1泊の繰り返しで回ったようだ。行動力ありすぎ!彼曰く、シリアでは殆ど日本人と会ってないらしい。僕も彼意外には、ハマで1人会っただけ。今、シリアにいる日本人旅行者って数人しかいないんじゃない?とか、シリアの飯不味すぎとか、シリアで秘密に酒が買えるところの情報とか、どうでもいい話をして別れた。

クラック・デ・シュバリエの二重城壁ホムスに戻って、早めの夕食をとる。シリアの飯は不味い。それでも運良くスパゲティが食べられるレストランを見つけたので、今日はここで食べることにした。ここの店員達は、他のシリア人たちと違わず東洋人に興味津々で、『カラテ・カラテ』と言うので、空手の正拳突きのマネをすると、すっごく喜ぶ。ここでも写真撮ってくれとせがまれたので、写真撮影会をしてから飯を食った。飯食ってる間にアラビア語を少々教えてもらったけど、もう忘れてしまった。発音難しいし、生まれて初めて聞いた音の並びばっかりなので、全然頭に残らない。

そのアラビア語を教えてくれた店員が『ウサマ・ビンラディン知ってるか?』ああ、もちろん知ってる。いまや誰もが知っている国際テロリストだ。店員は続けて突拍子もない事を言った。『ビンラディンなら、このホムスにいるぜ』えっ・・・な・・・!?、なんだってー!!って、僕は椅子からズリ落ちそうになりなった。すると店員のやつ、ニタニタしながら『ジョークジョーク、がはは~』・・・まったく意地の悪い。可能性がゼロじゃないだけ冗談にもならない。

パルミラへ(2006/08/18)

今日はシリア第一の観光地というか、ここを行かないとシリアに来た意味が無い場所。昔から行きたかったシルクロード隊商都市の"パルミラ Palmyra"に向かう。

無表情だけど、親切だったお爺さんの宿を出て、ホムスのバスターミナルまで行く。朝早いし宿からターミナルまでは3kmほどあるので、ちょっと歩いていくには遠い。なのでタクシーを使った。あまり考えず事前交渉無しで、タクシーに乗り込んだ。これがいけなかった。考えたらどんなに親切な国でもタクシーだけはボッてくる。日本のタクシーですら遠回りとか平気でする。ちょっと不注意すぎた。ターミナルに着くと、タクシーが『100SP(225円)払え』という。高すぎるだろう?たった3kmだぜ?と、タクシーを降りて口喧嘩になった。すぐに周りの人が仲裁に入ってきて、結局60SP(135円)払うことになった。仲裁に入ったオッサン曰く、これが相場らしい。僕が払おうとしていた25SP(56円)だと安すぎると言われた。本当かどうか、よくわからない。タクシーだけはそんなに安くないのだろうか。シリアで初めて嫌な目にあった。まあ自分の不注意もあるんだからしかたないけど。

ターミナルの窓口でパルミラ行きのチケットを買う。大型バスで約2時間半の距離が90SP(203円)だ。さっき払ったタクシー代とあんま変わらん。納得できねえー。
チケット買って『バスは何処から出る?』と窓口で聞くと、ちょうど同じ時にパルミラ行きの切符を買ったオジサンがいたので、『彼について行きなさい』と言われ、連れて行ってもらった。

彼とはバスの中で3時間くらいお喋りしていた。彼の名前はハッサンという。忘れっぽい僕がまだ覚えているくらい、アラブ人にしては覚えやすい名前だ。彼はまったく英語が出来ないので、ガイドブックにあるたった2ページしかないアラビア語単語を使って、よくわからない会話をしていた。年齢を聞いてみると、オジサンだと思っていたのに、僕よりも6歳も年下で21歳だという。びっくりした。おまけにもう結婚している。どこか普通の人とは毛色が違うと思っていたが、軍人らしい。しっかりしてんなーと思っていたけど、バスの中でカメラを見せると、大喜びで色々変なものを撮ったり、僕の顔を超接写で撮ったりして遊んでいた。
ハッサン曰く、パルミラのことをアラブ語では"タドモール Tadmor"というらしい。(のちに調べてみると、紀元前18世紀の楔形文字で書かれた文書で「タドゥミル」とこの町の呼び名が残されている。町の歴史は相当長いらしい。)それからガイドブックに書かれていたアラビア語を全部発声練習させられた。ガイドブックにカタカナで書かれている発音と全然違う。これじゃあ、いままで通じなかった訳だ。そんなこんなしてると、砂漠しかなかった風景に突如、町並みが見えてきた。と同時にハッサンが『こっち見て』というので、指差す方に目をやると、『おおおおおっー!!』パルミラ遺跡の全貌が見える。それは言葉では言い表せない。昔から行きたかった遺跡だった。そして今、その場所にいる。明日は一日かけてゆっくり見て回ろう。

ここはシリア最大の観光地だというのに、シーズンオフなのか、中東情勢が緊迫しているからなのか、旅行者がほとんどいない。なのでホテル側も必死だ。微妙なやり取りの末、エアコン付きの部屋を半額以下の1泊250SP(560円)にまけてもらうことに。しかも元々ツインの部屋なので広い。『隣のオランダ人は600SP(1350円)で泊まってるから、秘密にしといてくださいよ』とオーナーに念を押された。折角なので、ここで3泊ほどゆっくりすることにしよう。
シリアのトゥクトゥク?観光は明日の楽しみに置いといて、市街地を見て回った。感想としてパルミラはやっぱり、悪い意味でも観光地だったというしかない。子供達が『Hello!』の次に物を強請ってくる。『ベンベン』と言ってずっとワラワラついてくる。ガイドブックに今ですら書いてある(日本製のボールペンをあげると喜びます)という文を参考にして、本当にペンをあげた人が沢山いるんだろうか。そういうの止めてほしい。後から来る旅行者に大変迷惑だ。子供からしたら貰えるのが当たり前と思っちゃうじゃないか。幸い、近くにいたオヤジが子供達を一喝してくれたので、助かった。そういえば、昔は日本でも近所の子供を叱るオヤジがいたよなぁ。

パルミラ遺跡群(2006/08/19)

昨日の日記で、「明日は一日かけてパルミラをゆっくり見よう」とか言ってたくせに、目覚めたのは午後3時だった。一応言い訳すると、エアコンが快適すぎなのがいけない。半年振りのエアコンだし、そりゃ駄目にもなる。まあ目覚ましもセットしてなかったんで、気がついたら3時みたいな。

パルミラ遺跡の門パルミラ遺跡のメインロードとりあえず、観光に行かなきゃ。1.5Lのペットボトルの水を買って、いざ徒歩で遺跡へ。
しかし残念、やっぱりここは観光地でした。まるで人が駄目すぎ。遺跡内でまともに素朴でよかったのは1人だけでした。しかも、遺跡を何故かランニングシャツで、元気に走り回っていた男の子だけ。他の奴らは全員商売っ気丸出し、もしくは『キャンデー?,ガム?,ペン?,マニー?』と何かを強請ってくる子供たち。まあ、遺跡自体は凄く良かったんだけど、こいつ等のせいで精神的に疲れた。救いは全然観光客がいなかったので、貸切状態だった事かな。でもそのおかげで、客引き達から集中砲火を浴びたのかもしれない。

パルミラ遺跡自体は、入場料金というものは無い。それでもバール神殿やアラブ城など、ちょっと区分けされたような所だけ料金が必要になる。でも学割が効くから平気さ、とか思ってバール神殿で国際学生証見せたら、26歳以下じゃないと駄目と言われた。悔しいけど150SP(330円)を払って入ると、見ても外にゴロゴロある遺跡群とあんま変わらない。これは微妙だ。

パルミラ遺跡パルミラ遺跡のパール神殿パルミラでは駱駝に乗るのも目的の一つ。遺跡内には駱駝が沢山待機しているので、値段を聞いてみると、300SP(660円)とかいう。高い、ふっかけてやがる。『だって、そんなにお金もってないもん』といった値切り文句による微妙な値段交渉の末、100SP(220円)にしてもらった。30分ほど遺跡内を駱駝に乗って彷徨い歩き、シルクロード気分を満喫した。しかし駱駝は思った以上に怖い。足が長いので、立ち上がると結構な高さになるし、歩くとガクンガクン揺れる。そして思った以上に凶暴だ。手綱引っ張ってるオジサンに何度も噛み付こうとしていた。オジサンも負けずに蹴ったり叩いたりしていた。

パルミラ遺跡の見どころパルミラ遺跡は崩れまくり駱駝を楽しんだあとは、パルミラ遺跡の列柱回廊をずーっと歩いて抜けて、北西の丘に位置し遺跡群を見下ろすようにそびえるアラブ城まで歩いていく。普通の人ならタクシーで行くような所だが、僕は前に日記で書いたとおり"マッチョ思考"なので歩いていく。傾きかけているとはいえ、日差しがきびしい。1.5Lの水も飲みきってしまった。ちょっとマッチョ思考も考えものだな、と後悔しながら1時間ほどかけてようやく登頂した。
パルミラ遺跡から見るアラブ城アラブ城からみるパルミラの街パルミラ遺跡を上から見るでも、苦労した甲斐は十分あった。アラブ城では年齢がバレずに学割が通用した。5SP(11円)で入れたので、とても嬉しい。そしてアラブ城から見える、夕日に照らされたパルミラ遺跡群の全貌はもう、素晴らしいとしか言いようがない。昔、写真で見たものが、そのまま此処にある。誰も居ない城で、ずっと見入っていた。ここでは時間がとてもゆっくりと流れていた。

パルミラ遺跡の全景日が落ちたので、町に戻って夕食をとる。なんだかんだで、やっぱり一日一食になっている。まあ、飯が不味いので、食欲がおきないのが理由かもしれない。しかし、今日食べたものは違った。注文したカワジという食べ物。ジャガイモとトマトとチキンの鉄板料理でシリア料理にしては珍しく美味しかった。しかし他の店で、こんな名前のものは見たことない。この店だけの創作料理なのだろうか。

やっぱり砂漠気候なだけあって、ここは非常に乾燥している。適当に絞っただけの洗濯物も、部屋干し1時間ほどで乾いてしまう。1.5Lのペットボトルの水も、外を歩いていると小一時間で飲み干してしまう。飲んでからの尿意も全くない。これだけ暑いと汗がダラダラでて、服がベトベトになるだろうと思いきや、そんなことは無い。おそらく、汗が出ても瞬間的に乾いてしまうのだろう。体の塩分濃度が薄くなっているような気がする。

ダマスカス(2006/08/21)

また下痢になった。おなか痛いのを我慢して、ダマスカス行きのバスにのる。大型バスなのに、僕を含めて5人しか乗っていない。料金は125SP(280円)なのに採算合うんだろうか。砂漠の中を突っ切り、約3時間でダマスカスのバスターミナルに到着した。

実はバス代を払った時点で、現地通貨シリアン・パウンドを綺麗サッパリ使い切ってしまった。所持金ゼロじゃあ、バスやタクシーに乗ることもできない。とりあえず、歩いて中心街まで向かうことにする。人に聞きながら、トコトコ、トコトコ歩いていく。まだ着かない、ここは一体何処なんだ。ガイドブックにある地図は英語と日本語しか表記していない上に、アラブ人は地図が読めるひとがほとんどいないので、地図みせても現在地の場所になる手がかりがつかめない。だから、今自分がどこをどう歩いているのかさっぱり見当つかなかった。
言われるがままに、人から聞いて歩いているだけとういう状態。さらに30分くらい歩いても、中心街っぽくならないので、暇そうにしてイスに座って休憩していたオジサンに聞いてみると、ここからあと5kmはあるらしい。バス停から中心街、どんだけ離れてんだよ!でもお金ない。半分ほど歩いてきたみたいだし、残りも頑張って歩くことにした。

30分ほど歩いていくと、人通りが多い中心街っぽいところに着いた。この頃に、下痢による腹痛がかなり厳しくなっていた。さっさとお目当てのホテルに着くことが出来ないと、目も当てられない事態になってしまう。そういう状況により焦っていたのだろう。ガイドブックの地図にある似たような地形を見つけ、勝手に現在地として設定して、そこを基点にしてホテルを探し始めた。
しかし、探しても探しても見つからない。やはり勘が外れていたようで、当たり前の如く地図とはかけ離れた場所でさまよっていた。運の悪いことに、現在地として僕が勝手に設定した場所は、後でたどり着いた本当の場所と道路の配置や公園の位置などが、かなり似ていた。
グルグルとそこら一帯を探すも、見つかるわけも無い。間違いに気づいたのは、30分ほど時間を費やしてからのことだった。また人に聞きまくる。合計20人くらいに聞いただろうか、シリア人は親切からなのだろうが、あまり良くわからなくてもコッチだー!っと自信満々に言うので、これまた、ウロウロと行ったり来たりしながら、少しずつ目的地に近づいて行った。

疲労困憊、腹部限界に達しながら、ホテルに着いたのは、ダマスカスのバス停に着いてから3時間後のことだった。部屋の値段を聞くと、ドミトリーでも300SP(680円)だと!パルミラでエアコン付きの個室が250SP(560円)だったのに、納得いかない。しかもパルミラではあんなに旅行者が居なかったのに、ダマスカスにはウヨウヨいる。何件かまわってみても、すでに満室になっている所が多かった。だから宿側も強気だ。こちらに交渉権は無かった。

ダマスカスの門ダマスカスの子供たち
ダマスカスは歴史のある街。旧約聖書が書かれた時代から変わらずに存在する約1.5km続く真っ直ぐな道や、世界最古のモスク"ウマイヤド・モスク Umayyad Mosque"などがある。まさに4,000年の歴史がつまっている。でも今日はグッタリするぐらい歩き回ったので、観光はいいや。
世界最古のモスクであるウマイヤド・モスクウマイヤド・モスク