「ヨルダン・ハシミテ王国」シルクロードを放浪した2006年の旅行記

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ヨルダン・ハシミテ王国(2006/08/25)

まあ、何というか。どうしても起きられない時だってあるんです。まあそういう事です。ダマスカスまで来て、近郊にある行きたかった遺跡に行けなかったってのは、それのせいなのだ。というわけで、4日間も居なくてもいいダマスカスで呆けっと過ごしていたわけ。何にしても、今日はヨルダンに行く。いや行かなければならない。何故なら、シリアビザの15日間有効期限がもう明日には切れてしまうからだ。部屋に直径5cmくらいのゴキブリが10匹ほどいる宿から開放されるので、まったく問題ない。むしろもっと早く出てもよかった。

ヨルダンの首都"アンマン Amman"行きのバス切符を購入。国境越えのバスだからか350SP(800円)もした。でも、サービスはトルコのバス並。コーヒー・紅茶・ジュースのサービスがあって嬉しい。でも、今日はイスラムの休日(金曜日)のせいなのだろうか、バスの乗客は非常に少なく、10人しか乗っていない。その10人の中に6人家族がいて、その家族の一人11歳のアブドゥラ君と友達になった。まあ、案の定、空手・カンフー繋がりなんだけど。おかげで、こんな楽しい国境越えは初めてだ。出入国審査待ちの時間なども、ずっと彼と遊んであげた。空手や柔道とかの技もよく知ってる。一本背負いしてきたのは驚いた。あと、『カタ!・カタ!』とか言いながら、怪しげな空手の型を披露してくれた。お返しに、合気道の技を一つ教えてあげたら、その効果に凄くビックリして、ムチャクチャ喜んでくれた。

アブドゥラ君彼は、お母さんと兄弟達5人でヨルダンに帰国しているところだったのだが、そのお母さんが少し英語が話せる。しかし、宗教上の理由からなのか、直接旦那以外の男と話し込んではよくない、また座席も見知らぬ男女が隣同士は駄目というのがあるようで、面白いことにアブドゥラ君経由で質問してくる。彼に英会話を仲介させるのだ。
『Where are you go?』に始まり、『シリアはよかった?,アラブ諸国は好きですか?,大学で何専攻してるの?,クリスチャンですか?,日本のお金見せて,中国は行ったことある?,中国は綺麗でした?,兄弟はいますか?.....』など質問が尽きない。アブドゥラ君、中継を大変そうにやってたけど、お母さんの声こっちまで聞こえてるし。あんまり意味なかったりする。しかも彼の中継は伝言ゲームのように単語が変わってたりして笑える。しかし『アラブの食事は美味しいですか?』の質問にはちょっと答えが詰まってしまった。「マズイ」と正直に言ってよいものか。
兄弟の中ではアブドゥラ君が一番上で、その下に弟と妹3人がいる。みんな可愛い。一番下の子はまだ0歳の赤ちゃんだった。赤ちゃんも抱かせてもらった。髪の毛がモヒカン状にしか生えていないのが、僕の赤ちゃんの頃そっくりだった。自分の赤ちゃんの頃の写真を思い出して笑える。妹たちもモヒカンが面白いらしく、赤ちゃんのモヒカン部分ばっかり触ってる。
そんなこんなで、あっという間に4時間がたち、いつの間にかヨルダンの首都アンマンに到着していた。到着したら、彼らのお父さんが迎えに来ていた。お父さんもアブドゥラ君に紹介され、そして最後に『マアッサラーマ!(さようなら)』といい握手して別れた。アブドゥラ君に何度も反復練習させて、日本語の「さようなら」を教えたのに、どうも忘れていたようだ。

ヨルダンの首都アンマンそれはそうと、ヨルダンにもビザというものが存在するはず?なのだが、国境で無料取得できるという情報は、前もって知っていたけど、まさか本当にスタンプを押されるだけとは、、、、。こんなのビザじゃないやん。有効期限も記載されてないし、他の国の入国スタンプと変わらないんだけど。もしかしてビザ制度無くなったのだろうか?まあ、入国できたんだから問題無しとしよう。

ジェラシュ遺跡(2006/08/26)

今日はアンマンの北約50km、バスで一時間ほどのジェラシュ遺跡に行く。ジェラシュ遺跡はローマ人がアラブに作ったローマ遺跡のなかでも壮大かつ華麗な遺跡のひとつで、ぺトラに次ぐヨルダンの見所だ。
これを見逃すことは出来ない。もうダマスカスのような失敗はしない。と目覚まし時計を9時にセットしたのに、起きたら12時だった。(あー、もう今日は無理かなー。今日は無かった日にしようか)などの駄目思考を、幾度か戸惑いながらも振り払って、バスターミナルに向かった。近郊なのでまだ間に合うはずだ。ジェラシュ行きのバスがどれか人に聞いて乗り込む。料金は0.4JD(66円)だ。やっぱりヨルダンは、シリアに比べて少し物価が高いように思える。それでもヨーロッパから南下してきた僕からすると、断然安いと感じるレベルだ。

ジェラシュ遺跡ミニバスで1時間、ジェラシュ遺跡に到着した。遺跡の入場料金はビックリするほど高かった。ガイドブックに書いてる値段よりも上がっていて、しかも学割が効かない8JD(1,300円)だ。高い金払って入った問題のジェラシュ遺跡は、シリアのパルミラ遺跡群と比べてしまうと、やっぱり落ちる。でも、コレだけの規模で遺跡が残っているのは、素直にすごいと思う。円形劇場やアルテミス神殿,列柱回廊など綺麗な形で残っている。遺跡好きにはたまらないスポットであることは間違いない。

ジェラシュ遺跡の円形劇場ジェラシュ遺跡の列柱回廊2時間ほど隅々までみて、満足したのでアンマンに戻ることにした。またバスは何処から出てるのか3人ほどに聞いてまわった。正直、人に聞かないと全然わからない。アラビア文字は何て書かれているのか解読不能だし、どうみてもバス停とは思えないような場所が停留所になっていたりする。でも、ヨルダンもシリアほどではないにしても、人は親切なので本当に助かっている。

アンマンに戻り、夕食をとる。そういえば、ヨルダンでは食事が美味しくなった。シリアでは吐きそうになりながらも、栄養を取らなければ死んでしまうので頑張って食べていたという状況だったのだが、ヨルダンでは普通に食べることができる。アラブ料理ということで、食事内容はあまり変わっていないはずなのに、味が良くなっている。とくにラム肉(子羊の肉、マトンとは違って臭みが無く柔らかい)がビックリするほど美味しい。これだけでヨルダンに来た甲斐があった。

死海でぷかぷか(2006/09/01)

ついに今日、早朝に目覚めることが出来た!一週間ぶりだ!何故早起きをしたのかには理由がある。気分転換の宿替えと、ヨルダンで絶対に行きたいところ"死海"に行くためだ。

一週間もダラダラと滞在していた宿を離れ、少し歩いたところにあるクリフホテルというところに向かう。ここは知る人ぞ知るホテル。イラクでの日本人人質事件で有名になった宿だ。そこにいるサーメルという使用人がもはやアンマンの名物になっている。彼は誰もが認める親切な人。そう誰からも言われるんだ、とても気になるじゃないか。今日の宿替えは、彼を一度は見てみたいという目的でもある。

宿はツインルーム式のドミトリーで3.5JD/ヨルダン・ディナール(600円)、宿の質は悪くない。
問題のサーメル、ひと目でわかりました。さっそく彼と話してみると、ものすごく腰が低い。コーヒーまでご馳走になりました。『ありがとー』と言ったら『どういたしまして』と日本語で返してきた。ちょっと嬉しい。それにしても、ここまで欲の無い人も珍しい。彼は旅行者のために、少ない給金から自腹を切ってまで、色々とお世話をする。まさにサービス業の鏡。32歳で解脱している感じの彼は、まったくもって噂どおりの人だった。気を使いすぎのせいか、ちょっと頭が薄くなってる。

イスラエルとヨルダンの境にある塩湖"死海"。その名が示す通り、塩分濃度が高すぎて生物が生息できない死の海だ。小学校の授業時、社会の教科書でオジサンが海に浮かびながら本を読んでいる写真をみてから、以前から体験してみたかった死海浮遊体験を今日してみようと思う。

ヨルダンの首都アンマンから死海までの道のりは近いけど遠い。50kmほどの近郊なのに、交通の便が極めて悪い。死海はアラビア語で"バハル(海)・メイエット(死んだ)"というので、『バハル・メイエット!バハル・メイエット!』と連呼しながら人に行き方を聞きまくり、タクシーとバス2台を乗り継ぎ、たった50kmの道のりを2時間もかけて向かうことになった。
アンマンからずんずんとバスは渓谷を下っていく。不思議な気分だ。死海は海抜マイナス394mなので、まるで地球にめり込んでいくように下っていく。

死海死海の水は本当に辛い死海は冗談抜きで暑い!体感温度が3度ほど上がった。面積は琵琶湖の約1.5倍,最も深い所で400m,死海の水面は地球上で最も低い地点,海抜マイナス394mだ。考えると、僕らが普通の海で泳いでいる所、そこは死海よりはるか上空にあることになる。
死海のほとりは塩まみれまずは死海の水を味見してみる。ぐはっ!舌をつけた瞬間に刺激が。味は辛いを通り越して何故か苦い。舌をつけただけでこんなんやったら、もしゴックンと飲んでしまったら、のたうちまわることになる。
さっそく水着に着替えて、死海の水面で体を横たえてみる。驚くほど自然に浮かぶ。ものすごい浮力で体が持ち上げられる。なんと肘をついて横になって寝転ぶことも出来る。ヒザから下を空中に持ち上げることも出来る。すごく楽しい。自分が発砲スチロールになったみたいにクルクル体を回して浮力を楽しんだ。
死海で浮かんでみる今度は泳いでみた。新発見!浮力が強すぎると泳げない。足が強制的に水面上に出てしまうので、バタバタができない。死海ではクロールができない。平泳ぎも出来ない。使えるのは手だけだ。でも、体がほとんど浮いてることにより水の抵抗が少ないので、手だけでも結構進む。このまま対岸のイスラエルまで行けるかもしれない。疲れたら浮いて休めばいい。しかし、死海に行くまでにパスポートチェックがあったくらいなので、警戒は厳重そうだ。見つかったら射殺されるだろう。それに、体の水分が抜けきって干からびてしまうことだろう。
数分ほど死海に浮いていると、引っかき傷や唇など皮膚の弱いところがすぐに痛くなる。まさに傷口に塩を擦り込まれている状態だ。すぐに我慢できない激痛となり、10分ほどで死海遊泳は強制終了した。

高濃度の塩分が作り出す不思議な水。塩分濃度は27%で通常の海水の約5倍。水はぬめりを帯びており、温泉に入った時のように肌がすべすべになる。実際、死海の水は美容に良いという話があり、そういう目的で死海に来ている人もいた。死海の底にたまっている泥を体に塗りたくっているオバちゃんがいた。僕にも塗ってみろと泥をドンドンよこしてくるので、折角だし塗ってみた。泥まみれになった体は気持ち悪い。若干肌がスベスベになったような気がしないでもないが。元々、死海の水につかっただけで、肌がヌルヌルするので、効果のほどはよくわからない。
死海はこれだけ面白いところなのに、やっぱり交通の便が悪い。帰りも死海のビーチからアンマンへ行くバスが無いので、半ばヒッチハイク気味にアンマンへ戻った。

ぺトラの一日(2006/09/02)

親切なサーメルとお別れして、ヨルダン第一の観光地、大岩盤をくり抜いて造った多くの建物群がある"ぺトラ Petra"に向かう。
朝8時に起きて、タクシーで郊外にあるバス停へ。さっそくぺトラ行きのバスを探す。『ぺトラ行きのバスはどれ?』と近くに居た兄ちゃんに聞くと『あっちだ』と言うので、その指差す方に行ってみた。するとオジサンが手招きしながら『ぺトラのバスはこっちだ』と言うので、バス車内を見てみると誰も乗っていない。値段を聞くと5JD/ヨルダン・ディナール(850円)と高い。誰も乗っていない事を指摘すると『すぐ出発するから問題ない』という。なんだか怪しいので乗らない事にした。

違うバスを探し始めると、今度はたくさん人が乗ってるミクロバスの運転手がコッチコッチと手招きするので、そっちに行ってみた。値段は荷物代含めて3JD(510円)だった。満員でもう出発しそうなので、これで行くことに決める。
しかし、僕が一番最後の乗客だったので、一番誰もが座りたがらない座席しか残っていなかった。そこは運転席と助手席の間に挟まれた狭い空間。もはや椅子とは呼べないような所だ。なんか損した気分。でも、バスのど真ん中の真ん前なので眺めは抜群。砂漠の真ん中を突っ切るデザート・ハイウェイを十分に堪能できる。おまけに運転手のおっちゃんが日本人好きらしく、色々話してくる。狭い席を不憫に思ったのか『俺にもたれてかかって寝てもいいぞ』なども言う気のいいおっちゃんだ。アンマンからぺトラまでの3時間、微妙な英語でよくわからない会話をしていた。

拠点となるペトラの街ぺトラに近づくと、巨大な岩山が忽然と現れた。もう岩山自体が神秘的な様相をしている。期待は高まる。
しかし、残念ながらぺトラは噂どおりにボッてくる町だった。もう町中の住人が一致団結してボッてるという感じ。まるで挨拶であるかのように高い値段をまずは提示してくる。宿でもそうだった。ガイドブックに書いてある値段の倍額をまず提示する。『ふざけんな、その半額だろ?』といえば、『それでいいよ』という。実際ふざけてる。そういえば、この町はすべての物において定価の倍額を提示してくる。コーラを買うのに、マーケットを3軒まわってリサーチした結果、3軒とも全く同じ値段の定価の倍額を言ってきた。なんか組合協定みたいなので決めたんかいな。"外国人には倍額で徴収すること"とか。『アンマンではその半額で買えたぞ!嘘付け!』と一喝すれば、『それでいいよ』と値を下げてくる。信用とかどうでもいいらしい。実にめんどくさい町だ。
首都のアンマンでは、すべて定額にて買い物が出来ていたので、すでに物価を把握出来ていたのだが、もしエジプトから北上してヨルダンに入って、最初にこのぺトラの町に来ていたら、ボラれてるなんて気づかないだろう。皆一様に、同じ倍額でボッてくるからだ。

そんなことはどうでもいい。肝心のぺトラ遺跡に行こう。3泊する予定なので、3日間有効チケットを購入。ムチャクチャ高い。学割が効いても16JD(2,700円)だ。だが、遺跡内に入って切り立った岩の隙間を歩いていると、値段の高さなんて気にならない。凄すぎる、なんだこのリアルで探検家になったような気分は!

ペトラの岩の裂け目は冒険者感万点ペトラのエル・ハズネナバタイ人の都市であったぺトラは長い間、外部の人間に知られぬように隠され守られてきた。最初の遺跡"エル・ハズネ(インディージョーンズ/最後の聖戦の撮影舞台に使われた)"に到達するまでに、高さ100m以上はある大きな岩盤の裂け目のような隙間を1kmも通り抜けて行かねばならない。ここがかつて隠された秘密の都市であったのも頷ける。また岩肌に特徴があり、とくに有名なエル・ハズネはまさにバラ色。紀元前1世紀~後2世紀に岩をくり抜き造られた多くの建物は、その巨大な岩盤群に縦横無尽に広範囲にあり、一日で見てまわるのはまず不可能だ。

ペトラの広範囲に点在する遺跡群も見どころペトラ遺跡内は自由に昇り降りができるが危険だこの感動は、カンボジアで見たアンコールワット遺跡群に匹敵する。今まで旅してきた中で、身震いするほど感動した、僕の中での遺跡ランキング。これにより、ぺトラとアンコールワットが同率首位になった。
今日は6時間もかけて、岩盤を登ったり降りたりを繰り返し遺跡内をなめる様に歩き回ったが、信じられないことに地図で見てみると半分も見てない。でもあと二日ある。残すところをゆっくりと見て行こうと思う。

ペトラ遺跡の奥にもエル・ハズネのような立派なものが火星に来たのかと思うような景色日が暮れようとしているので、ぺトラ遺跡を出ようとゲートに向かって戻っていると、『馬で戻らないか?』とオジサンから声を掛けられた。
実際、遺跡内ではラクダやロバ、馬車で人を乗せて移動している。遺跡がとてつもなく広いので、そういう商売があるのは当然のことだ。しかし、値段を聞くとアホみたいに高く7JD(1,200円)という。
乗馬はしたことないので、本当は乗りたくて堪らないのだけど、ここは全然興味ないフリをして、『高いからいいや』と断ると、『5JD(850円)でいいよ』と値を下げてきた。ここはボリの多いぺトラ、まだ下がるはずだ。『そんなにお金持ってないし』と去っていこうとすると、『じゃあ、いくらなら乗る?』と聞いてきたので、『1JD(170円)!』ズバっと言ってやった。オジサン目を丸くして『1JD!?...2JDならどうだ?』と食いついてきた。これはいけると思い、『いま、1JDしか持ってないから、無理だね』と、本当は乗りたくて堪らないのに、手を振り、ゲートに向かい歩き出した。そうすると、しぶしぶ『OK..』やった作戦成功!内心はすごく嬉しいのに、しょーがないなという顔で馬に乗った。
馬はラクダと違ってすごく乗りやすい。しかし、馬が走り出すと、上下に無茶苦茶振られる。残念ながら暴れん坊将軍のように格好いい乗り方は出来なかった。馬に乗っている間も、馬の口をひいてるオジサンから、『お金持って無いんだったら、1JDとなんか付けてくれ、タバコとか飴でもいいからさ~』などといってくるけど、タバコ嫌いの僕がそんなもの持ってるわけない。
旅に出てから交渉術が上手くなって来たと自分でも思う。以前の僕なら5JDでも乗ってたかもしれない。お陰で、楽に町まで戻ることができた。

町に戻ると、日本語が少し出来る男に声かけられた。実際に日本に行った事があるらしく、日本人と話したいみたいなことを言ってくる。こういうパターンの奴はかなり怪しい部類に入る。いつもなら、適当にあしらうんだけど、さっき交渉に成功した事があってか、今日の僕は違った。よせばいいのに、コイツの話に乗ってやろうと思ってしまった。
『夕日の綺麗なところに連れて行ってあげる。日本人は友達だから、もちろんタダで』という。結局、コイツの友達と三人で、車でサンセットポイントまで移動した。移動中、『日本に彼女が10人いる』だとか『日本には半年いた。日本人の女、Fuck Good!』とか、すげえ頭の悪いことを言う。本当か嘘かわからんけど、頭にくる。本気で殴ってやろうかと思った。
夕日の写真を撮っていると、コイツはついに本性を現した。『タクシー代としてお金ちょうだい』と、先ほど言った言葉と矛盾することを平気で言ってのけた。その言葉でついに僕はブチ切れた。『おまえ...さっき、タダで行くいうたよな?嘘か?嘘いうたんか?あ?』と大阪弁丸出しで言った。僕が本気で怒ってるのがわかったのか、急に態度が変わって『冗談..冗談だよ!』と一端引いた。とりあえず、車で町まで戻ってもらう。帰りの車の中で、コイツはまた日本の女の話をしている。たしかに、日本人は外人に弱いみたいなところあるし、馬鹿な女もいるが。なんかすげえ日本人なめてるなコイツ。それで、町につくとまた『お金ちょうだい』というではないか。しかも、車のドアをロックして。正直、こんなになめられたのは怒りを通り越して情けなくなった。ぶん殴ってやろうかと思ったけど、そこは抑えて『おまえ、嘘付いてないと言えるんか?たしかに日本人は友達だからタダって言ったよな?日本人なめとんか?』とこちらの正当性をアピール。それでもわけ判らんことをぐだぐだ言うので、ヨルダンで最近使うようになった切り札のアラビア語『ワッラー?(神に誓って、本当か?)』というと、簡単に開放してくれた。イスラムの教えは絶対だ。あまり使いたくないけど、それを逆に利用させてもらった。結果として、タダでサンセットを見に行けたけど、精神的に疲れて後味悪い。もうおまえ日本くんな。

宿に戻ると、レセプションの兄ちゃんが面白い人で、部屋の鍵をもらうだけの用事なのに、1時間くらい喋りこんでしまった。
『日本語は難しくて、僕の少ない脳のメモリでは覚えられないよ』という話から始まって、何故か最後はお絵かき大会みたいになった。僕は基本的に絵はドラえもんの顔しか描けない。ドラえもんを描くと、『それは何?』という、まあ知らないだろうなあ。『猫だよ』というと『猫?耳が無いね』。確かに、ドラえもんってどう見ても猫に見えないな。彼はドラえもんに耳と胴体を付け加えだした。しばらくすると紙の上に、ドラえもんの顔をしたスフィンクスのような物体が。二人で大爆笑した。さっきの嫌な出来事を吹き飛ばすくらいの。

アカバ(2006/09/05)

ぺトラ3日間有効の入場券を買っておいて大正解だった。とてもじゃないが、一日二日では見て回れなかった。僕は3日間とも6時間以上遺跡内を歩き回ったのに、まだ行ってない所もチラホラある。なによりも、岩山の頂上から眺める景色が素晴らしかった。毎日、色んな岩山に登っては目に焼き付けていた。まあ、足踏み外したら死ねる。よく考えたら、危ないことをしていた。

そういうわけで、遺跡は予想以上に凄かった。でも、人間は最悪だったぺトラを出て、ヨルダンからエジプトへ抜けるため、ヨルダンの最南端であり、ヨルダンが唯一海に接する所"アカバ Aqaba"へ移動する。その港町アカバからフェリーでエジプトに向かうわけだ。

ぺトラからアカバへ直通で行くバスがあるにはあるが、それが早朝6時発とかすごく早い。お寝坊さんの僕がそんなに早く起きられるわけがないだろう。なので、ゆっくりと昼頃起きて、近郊のちょっと大きいマアーンという町にバスでいったん行き、そこでアカバ行きのバスに乗り換えた。もちろん、嘘つきだらけのぺトラの住人から、そんなバスは無いとか、バスは3時間後しかないとか、無茶苦茶な理由でタクシーで行くように誘われたけど、もはや貴様らは全く信用ならないと判ってる僕には効果ないよ。そんな事言ってる間にバス来たし。

アカバのビーチアカバのなかなか綺麗な海海が見えた。アカバ湾だ。アカバはエジプト・イスラエル・ヨルダンの3ヶ国が、この狭いアカバ湾に港を所有している。なのでアカバのビーチに行き対岸を見渡すと、すぐ目の前がイスラエルの領土でありエジプトの領土である。それでも、アカバはヨルダンが唯一海に接する所ということで、ヨルダン人もリゾート地として利用している。なので、アカバはヨーロピアンリゾートのような雰囲気が漂っている。ここでゆっくりとリゾート気分に浸ってもよいかもしれない。しかし、エジプトはヨルダンよりも物価が安いらしい。ならば、海で遊ぶのはエジプト側の方がいいではないか。ということで、明日はフェリーでエジプトに向かう予定。紅海は世界で最も美しい海とも言われている。ダイバー憧れの地。すごく楽しみだ。機会があればダイビンクやろうかな。

海路エジプトへ(2006/09/06)

国際フェリーでエジプトへ行く。このフェリーが曲者だった。ヨルダンのアカバから、エジプトのヌエバに行くフェリーは2つある。スピードボードとスローボードの2種類だ。所要時間はおおよそスピードボードが1時間、スローボードは3時間かかり、値段はそれぞれ45$と35$。どちらも高い上に、料金にそれほど差がない。

実は昨日の時点で、国際フェリーのチケットを買いに港まで行っていたのだが、窓口に聞くとスピードボードはずっと先まで売り切れという。
ならスローボードでということでチケットを買ったはいいが、出発時刻を聞いてみると夜の10時発だというではないか。本当にそんなに遅い時間に出るのか?かなり疑問に思ったので、別の人に聞いてみると今度は午後3時だという。もうわからなくなってきた。また別のスタッフに聞くと午後5時だと言い、また別の人に聞くと午後1時、また別の....。全然わからねーよっ!
どうやら、毎日出発時間が変動するらしく。その日ごとの出発時刻なんて誰も把握してないらしい。しかも、発券してもらったチケットをよくみると、9月6日に出発したいのに、9月5日の今日出発になってる。なんだこれは!?『再発券してよ』と言うと、この券は6ヶ月有効だから問題ないと言うではないか。もう何がなんだか、わからなくなってきた。適当な仕事振りをみていると、簡単に信用も出来ない。おまけにフェリー会社の人員で、満足に英語を喋られる人がいなかった。なので『どういうことだ?紙に書いてでも説明しろ』とごねてると、社長室みたいなところに連れて行かれた。そこには恰幅のいい、金持ちそうなオジサンがいた。フェリー会社の社長だろうか。その人は英語が喋れて、さすがにしっかりと説明してくれた。出発は午前11時だという。有効期限が6ヶ月というのも本当だった。ゴタゴタしたけど、ちゃんと情報が得られたのでよかった。っていうかスタッフの連中、誰もかれも出発時刻間違えてるじゃねえか。わからないのに、自信満々で適当に答えるのはやめてくれないか。

ということで、今日は出発の1時間前、午前10時に港にきた。出国と乗船手続きがさっぱりわからない上に面倒くさい。例のごとく人に聞きまくり、まずはTAXの窓口に行き出国税を払う。次にイミグレーションに行き、出国スタンプを押してもらう。そして今度は外にでて、バスでフェリーまで移動。フェリーの中でエジプト入国カードに記入し、エジプトのビザをもらう為、パスポートを預けてようやく終了。すごく大変だった。なにしろ窓口がいっぱいあって、アラビア語表記なので何がなんだかわからない。かなりウロウロしていて、すべての手続きが終わった時にはすでに11時になっていた。
アカバから出るフェリーこれで出発するのかなと思いきや。フェリーは動く気配が無い。乗客は全員乗船しているはずなのに、動かない。なんと動かないまま3時間が過ぎてしまった。午後2時過ぎにようやくフェリーはエジプトに向けて出航した。本当にスローボードだ。そうかスタートがスローなのか!と思ったら速度もしっかりとスローだった。でも、紅海は本当に綺麗だ。紅海という名前とは真逆の、なんというか群青色というか、本当に綺麗な青色をしている。フェリーの上からでも熱帯魚が泳いでいるのが見えるくらいだ。

紅海の蒼い海3時間のクルーズで、エジプトのヌエバに到着したのは5時半。これでようやく入国できると思っていたら、なかなか下船させてくれない。もう無茶苦茶だ!仕事が遅すぎる。なんと2時間後の午後7時半にようやく下船。
それから出国審査なのだが、僕はパスポートを預けてしまっているので、どこでパスポートを受け取るのかさっぱりわからない状態だった。同じ境遇のスペイン人がいたので、一緒に行動することにした。まずはバスでイミグレーションまで行く。イミグレーションオフィスに入ると、オジサンが僕のパスポートを持っていた。先にイミグレーションに送られていたらしい。そのために2時間も下船を待たされたのだろうか。よくわからない非効率さだ。ビザはもう発行してくれてるんだろうと思いきや、オジサン『銀行に行ってビザ買って来い』と言う。ワケがわからなくなってきた。銀行でビザを買うとはどういう意味だろう。そりゃどういうこっちゃ?とスペイン人と顔を見合わせていたら『ついてこい』という。言われたとおりついて行き、銀行でビザ代15$払うと、切手みたいなものを渡された。それをパスポートに貼ると、なんとビザになってしまった。どんなビザだよ。誰でも買えるやん。もはやビザの意味がないし。ただビザという名目で金を回収したいだけなのかもしれない。オジサンがその切手ようなビザの上にサインをすると入国審査は終了した。

無事に入国が終了した時には、もうすでに8時半になっていた。
本来なら今日中に紅海のリゾート地でも安い"ダハブ Dahab"という町に移動している予定だったのに、もうこんなに遅くなってはバスもないし無理だ。ミニバスの運転手がダハブまで貸切で100エジプトポンド(2,000円)とか言ってるけど、たった1時間の距離だ。エジプトの物価にしては高すぎて話しにならない。なので、今日はここヌエバに一泊することにした。

宿の食堂にあるテレビで放送していた"バックトゥー・ザ・フューチャー"を見ていたら、『俺はヨルダン人のトラック運転手なんだ』という人にエジプト・ミントティー?をご馳走になった。緑茶のようなものにタップリと砂糖を入れたやつ。味は微妙だったけど、心意気がうれしかった。ぺトラでヨルダン人に辟易していたけど、ちょっと見直した。