「帰国・あとがき」シルクロードを放浪した2006年の旅行記

「帰国・あとがき」シルクロードを放浪した2006年の旅行記の画像

帰国(2006/09/30-10/01)

ついに、帰国の日になった。帰国便はカタール航空、15時25分発でカタールのドーハにて乗り換えて関西国際空港に帰着する予定となる。
起きたときは、もう昼前だったので、他に何をするという余裕もなく空港へ向かう。二時間前にはチェックインしなければならないので、ちょうどいい時間だ。
空港へはバスで向かった。あらかじめ調べておいた空港行きの番号のバスがちょうど道を走っていたので、止めて乗り込む。だいたい4,50分ほどで空港に到着した。

チェックインを済まし、あっけなく出国審査も終わり、やることがなく出発ロビーにて搭乗時間になるまで、ひさびさの帰国で、日本はどう変わってるかな?とか、今までの旅の思い出を整理したりして、時間つぶしをした。
定刻通りに飛行機は出発。空を飛んでいるうちに夜になり、整然とした要塞のような夜景がみえるカタールの空港へ19:40に降り立った。ここで、乗り換えとなる。三時間ほど、関空へ飛ぶ飛行機の搭乗時間まで待つことになった。あまったお金を使い免税店などで、おみやげを買う。
カタール航空は出来て間もないせいか、航空機材もなかなか新しい。全席にテレビが設置されており、その中から、自分の好きな映画や音楽などを選択して見たり聞いたりすることが出来る。映画では日本語音声や字幕の選択もできるなど、なかなかのハイテクぶりだ。

翌日の14:50に日本の関西国際空港に到着した。もう何度もこの関空から飛び立ち、また関空へ帰ってきてるので、入国手順なんてお手の物。学生の頃は、たった2ヶ月のあいだ日本を離れていただけで、再び日本の風景をみて、看板が日本語で読める!などわけのわからんカルチャーショックのような感動していたりしたが、今はなんとも思わなかった。歳をとったのだろうか。感動が薄れてしまってるような気がして、少し寂しさを感じた。

あとがき(2007/03/09)

もう帰国してから4ヶ月以上、出発してから1年と1ヶ月も経っている。すでに、過去の楽しかった思い出になってしまった。今はちゃんと現実的に普通に暮らしている。いったん社会を抜けたが、また正社員として働けそうだ。再び新人としてのスタートとなり、他の人よりも遅れて進むような感じになってしまったが、でも後悔はしていない。
それよりも、夢を実現した。願い続けて、それに向けて動いていく事、やろうという意志によって実現出来た事実が嬉しかった。

そしてなによりも、旅での出会いや考え方の違い、食べ物の違い、価値観の違いなど、いろんな人たちの暮らしを見て、世の中には自分とは全く異なる人生を生きている人が沢山いることに気がついた。見聞を広めるとは、まさにこの事なんだろう。僕の中でも、今までの価値観が揺らぎ、心の風呂敷が少し大きくなったような、そんな気がする。

でもまだ、僕は南米に行っていない。世界中旅した人の中で、南米が一番よかった。そのように言う人がいた。いつかは僕も南米に行ってみたい。今度はこれを目標に夢にして、再び歩き出していこう。

10年経って(2017/11/09)

あれから10年経過した。
結婚した。
勤めていた会社が倒産したから転職した。
10万人に一人の奇病になって手術してヘソがなくなった。
離婚した。
また別の10万人に一人の珍しい癌にかかって手術して金玉一つ無くなった。
転職した会社を辞めてフリーランスになった。
本当に色々なことがあった密度の濃い10年だった。

こんな色々なことがあり思うところもあって、また旅に出ようと決めた。
そのことをリーに言うと「俺も行くわ!」と、こいつは10年前と同じくまたもや会社を辞めてきた。本当にすごい奴だ。

ということで2016年6月~2017年1月までの間、「カンボジア」⇒「ベトナム」⇒「ラオス」⇒「タイ」⇒「ミャンマー」⇒「インド」⇒「ネパール」のルートを、30代のおじさん二人でバックパッカーしてきた。

よくインドに行けば人生観変わるなどという宣伝文句を聞いていたので、そうなのかと思いきや僕の人生観というやつは微動だにしなかった。そんなことより空気が悪すぎで喘息気味になってしまったのがきつかった。

ミャンマーは本当にタイミングがよかったと思う。民主化されてタイとの国境も開かれて一年足らずの状態だったので、あまり観光地化されておらず。いい感じで冒険感が味わえてよかった。

ラオスは逆に、欧米人が大挙して押し寄せておりすでに観光地化が完了してしまった状態で、これじゃない感が満載だった。10年前に行っておくべきだった。

驚いたのが、カンボジア。10年前と比べて恐ろしく発展していた。中国資本が入りまくりで街中は、BMW・メルセデス・アウディ・レクサスの上位クラスやポルシェ・フェラーリなどの超高級車が日本で見かける頻度の3倍くらい走りまくっていた。

この10年の劇的な変化は僕自身だけでなく海外でもすごいスピードで変わっていくんだと実感した。
でも逆に日本は失われた20年?もうすぐ30年になるの?ほぼ停滞していたので、相対的に日本人は貧乏人になっているんだよ。このこと日本国内で生活が完結している状態にあるとあまり実感できないけど本当に危うい。
いまや東南アジアでは、日本人よりもよくお金を落としてくれる中国人の方が歓迎されている事を実体験したときは衝撃だった。

これから将来、さらに10年後はどうなっているんだろう?日本人の実質平均年収は下がり続けているのに、「いざなぎ景気を超えた」とかいうまったく実感できないことを意気揚々と発表する状態に末期感を覚えつつも、僕はあ~やっぱり南米行っていない。南米行きたいなぁ~と次の旅の計画を淡々と考えるだけの人になっていた。