「キルギス共和国」シルクロードを放浪した2006年の旅行記

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キルギスへ(2006/05/08-09)

中央アジアのスイスと呼ばれるキルギスへ向かう。キルギスのオシュ行きのバスがゴールデンウィークの間運休していたため、カシュガルに一週間以上滞在していたのだ。待ちに待ったキルギスである。

9時半にバス停に来いと窓口でチケットを買った時に言われたので、定刻どおりに長距離バスターミナルに行ったが、実際に出発したのは11時半だった。はっきり言ってみんな荷物多すぎ。トランクに入りきらず、寝台バスの通路に二重に山積み状態、通路が完全に塞がれてしまう。公式に荷物料金を取られるはずなのだが、何故か僕らは取られなかった。

バスには中国人(ウイグル人)やキルギス人のほかに、外国人が僕ら合わせて8人乗っている。僕ら日本人は乗客から、ちゃんと区別して「ヤポン(Japanese)」と呼ばれたが、他の外国人はイギリス人もスウェーデン人,トルコ人すべて、「English」とひと括りに呼ばれていた。

ウルグチャト3時間ほど走って、国境近くの町ウルグチャトに到着。ここで昼休憩となった。朝、砂嵐がきていて猛烈に空気が淀んでいたが、この町に着いたときには、ちょうど空気が一新してものすごく澄んだ空気になった。ここから見える眺めがすばらしい。まさに風の谷。パキスタンのフンザには行けなかったが、きっとこんな感じだったんだろうと思う。いまは想像するしかない。こちらの道を選んだんだから、しょうがない。今日はパミール高原を越える。

さらに2時間ほど、谷あいを走っていくと、パスポートチェックがあった。みんな降りてパスポートチェックして、踏み切りみたいなゲートを通過する。「もしかして、これが中国の出国審査なのか~むちゃくちゃ簡単だなぁ~」なーんて思っていると、また1時間ほど走ったところにしっかりとした建物の中国側の出国イミグレーションがあった。この時、晴れていた天気がガラッと変わり、雲行きが妖しくなってきた。
今度こそ、さようなら中国、ただの出国審査だし、すぐ終わると思っていたが、やってくれました最後の最後まで中国(漢族)。むっちゃくちゃ仕事が遅い。遅すぎる!一人パスポートみて審査するのに10分以上かける始末。しかも、審査官はたったの一人で処理して、ほかの審査官はみんな携帯で電話したりして遊んで、まったく仕事を手伝おうとしない。おかげさまで、バスの乗客全員の出国審査が終わるのに、なんと4時間もかかってしまった。ずーっと突っ立って審査待ちしていたので、足がパンパン。イギリス人に「すごく疲れたね」と言うと「ああ、アンビリーバボー!」とお互いに不満をぶちまけた。
ここで、もっとアンビリーバボーなことがあった。出国審査が終わって自分の荷物が出てきたので、中身大丈夫かと調べていると、「これあなたの荷物?荷物代払ってないでしょ?5元ください」と言われた。出発時に払ってなかったので、もっともだと思い深く考えずに支払った。問題はこの後だ。運良くというか、支払わないで済んだリーと他の外国人5人が荷物料金払ってないという理由からバスに乗せないとバスの乗降口で止められるという事態に陥った。さっき徴収された僕とトルコ人は乗せてくれた。なぜ急にそういう事態になるのか、納得いかない6人が抗議するも取り合わない。そりゃそうだ、バス代払っているのに、いまさら別途荷物代払わないと乗せないなんて言うのもおかしい話だ。しかも皆は、キルギス通貨に両替してしまって、手持ちの中国元は持っていない。20分ほど経ち、もう国境が閉まりそうな時間になってきたので、一番前にいたウイグル帽を被ったおじいちゃんが、「荷物代くらい多めにみてやれよ」と説得してくれたので、無事全員乗り出発することができた。

ここの国境地帯は、とにかく面倒な事情になっている。中国国境とキルギス国境で約7kmの緩衝地帯が設けられている。さらに道幅が狭いという理由から、キルギス側からが午前中、中国側からが午後と通行時間が決まっている。これで、バスが9時半出発なのに、妙にゆっくりとした出発だったり、昼休憩を取ったりしていた理由がわかった。しかしそれも中国側のイミグレーションの異様な遅さで全部無駄になった訳だが・・・。
緩衝地帯には帝政ロシア時代のイルケシュタム要塞があると聞いたので、是非見てみようとジロジロとバスの窓から外を眺めていたら、見張り台がある小さな城跡みたいなもの見つけた。たぶんあれがそうだろう。ここは実に厳重で、バス車内に2回も軍人が乗り込んできて2回ともパスポートチェックを受けた。

緩衝地帯を通行中、バスの車内で運転手が乗客に向かって何かを言っている。言葉のわからない僕らにはさっぱりわからない。車内の様子を見ていると乗客がキルギス通貨500COM(1,400円ほど)を運転手に渡している。そしてリストを作ってお金を渡した人は名前を書き込んでいるようだ。これがそうか!事前にインターネットで調べていた情報によると、これは国境を問題なく通過するための賄賂らしい。場合によっては、賄賂を払わなかった人が銃を突きつけられて、脅されたり、賄賂を払わなかったという理由で、難癖付けられて、長時間拘留された挙句、結局200ドルもとられた人もいるらしい。しかし、このまま普通に賄賂を払うのも釈然としないので、僕らを入れたいわば外国人8人は賄賂を払わなかった。それ以外の乗客は全員払っていた。それ以前に僕らはCOM(スム)を持っていないので、払いようが無い。こんな緊張した国境越えは初めてだ。そしてついに恐怖のキルギス側のチェックポイントに到着した。

順番にバスから降りて、入国審査を受けに行く。トルコ人は軍人の機嫌とりにタバコやるんだと言って持っていった。僕も、万が一の時の為に、とっさに出せるように10元(150円)をポケットに入れて、覚悟を決めてバスを降りると、軍人が親指を立てて「Japanese Good!」とニコニコしながら言われた。あれれ?情報と正反対だ。なんかいい感じだぞ。荷物チェックも一瞬バックの中身を見せただけでOKだった。入国審査も難なく入国スタンプを押してもらい、あっさりと入国できてしまった。その間たったの5分。銃を突きつけられるくらいの覚悟で挑んだのに、すんなりすぎて逆に拍子抜けしてしまった。他の外国人たちも問題なく通過、もちろん賄賂を渡した方たちもすぐに通過してきた。
入国で気がついたが、日本人だけがキルギスの入国はノービザなのだ。なぜ、日本人だけがビザがいらないのかというと、キルギスに累計400億円(あやしい記憶なので、そのくらいだったと思う)の援助をしているからだという。僕らの血税が外に流れているのには、ちょっと納得いかない面もあるが、逆に今回の旅では大助かりだった。イギリス人が僕らがノービザなのに驚いて「僕は、キルギスビザを取るのに、ウルムチで一週間かかった。しかも100ドルも払ってようやく取ったのに・・・」と羨ましがられた。その横でトルコ人が前述した日本が援助していることでノービザになったのを知っていて、先に説明されてしまった。彼はものしりで今や外国人の中心的存在になっている。

バスは無事にキルギスに入国して、いざオシュへ向かってひた走りに走るだけ、何も問題ないと思っていた。僕は、国境のイルケシュタム峠が、峠というくらいなのでオシュまで行く道の一番標高の高い場所なのだと勝手に思い込んでいたが、違った。バスはドンドン山道を登っていく。しかもキルギスに入ってから道が未舗装になっていた。気がついたら、一面真っ白な雪に覆われている。道はタイヤで溶けた雪解け水でびしょびしょ、全く舗装されてないので砂利道に沢山できた穴は水溜りになっている。そこをバスが走るので、バスは大きく左右に振られて、危うく横転しそうになる状態が続く。しかも、もうすでに日が落ちる前で、さらにドンドンと気温が下がってきている。

標高4,000mほどの高所の道しばらくすると、バスの道を走る音が、ビシャビシャから、バリバリに変わってきた。路面の水が凍ってきたらしい。さらに恐ろしいことに気がついてしまった。このバス、ノーマルタイヤな上にチェーンを巻いていない。まさにデンジャラス。なにせ、標高4,000mほどの高所の、あるかないかよくわからないような道で、すぐ横が崖になっているグニャグニャ道を走る。しかし、ここで怖いから降りるといっても、ただ凍死を待つだけなので、運転手の腕を信じるしかない。
怖いことを無しにすれば、綺麗なほど極寒の山並みを眺めていると、前方で案の定トラックが轍にひっかっかってエンコしていた。狭い道なので、このトラックが動かないことには、バスも前には進まない。バスの運転手もトラックが動くのを手伝っていたようだが、僕はここで疲れて眠ってしまっていた。

サルタッシュという町朝起きると、峠を降りたところにあるサルタッシュという町に着いた。トイレにとバスを降りたが猛烈に寒い。朝日に照らされた景色が綺麗だったので、写真だけとってさっさとバスに乗る。少し歩いただけなのに、息切れした。峠を降りたといっても、まだ標高は高いらしい。オシュまではまだ時間が掛かりそうだ。とりあえず、眠いので二度寝する。

サルタッシュ目が覚めた、今度は日差しの強さで起きた。外を見ると、なんとそこは春になっていた。たんぽぽが咲き、山には牧草が生え、馬や牛、羊、ヤギ、駱駝もいた。牧羊犬がヒツジを追い回している。景色は中央アジアのスイスと呼ばれるだけあって、まさにスイスだ。カナダのヨセミテ国立公園にも似ているかもしれない。

オシュにはキルギス時間の午後3時に到着した。距離は対したこと無いのに、カシュガルから28時間もかかってしまった。
外国人たちはすぐに飛行機で首都のビシュケクへ行くと言い、空港へタクシーで行ってしまった。僕らは、手持ちに中国元が700元(10,000円)以上も残っているので、まっさきに両替所に行くことにした。両替所を探してさまようが、そこらじゅうの看板がキリル文字なので、さっぱり意味がわからない。むやみに歩いてもしょーがないと思ったので、町の住人に聞いてみると、町の中心部は歩いてきた方向とまったく逆だったらしい。バスを降りた場所は中心街よりかなり北だったみたいだ。
しばらくすると、外国人が珍しいのか、沢山人が集まってきた。野次馬にタクシーの運ちゃんがいて、「支払いは元でいいから、そこまで行くよ」という。「いくら?」と聞くと、20元といわれた。300円だ。相場がわからないけど、それはちょっと高いんじゃないのかと思い、「10元にして」というと「10元?、15元なら」というので、もういいやと去ろうとすると、「10元でいいよ」とOKになった。キルギスの通貨COM(スム)をまったく持っていない僕らも、これ以上強く言えないので、10元で行ってもらうことにした。
白タクの運ちゃんは気のいい奴で、名前をラフマンという。ここがレーニン通り、これがキルギス通り、向こうに見えるのがスレイマン山と解説しながら走ってくれる。スレイマン山は聖書に出てくるソロモン王の霊山らしい、無知な僕にはすごいのかどうか良くわからなかった。
中心街に着いた。ラフマンと握手してわかれる。少し歩くと両替所がすぐに見つかった。中国元の買取レート(1元=4.5COM)は悪い。だからといって、元を持っていてもただの紙くずなので両替する。

中央アジア圏で面倒な制度がある。レギストラーツィア(滞在登録)だ。ロシアから独立する以前からある制度がまだ残っている。キルギスの場合、入国から5日以内に滞在登録を済ませないと、とんでもない罰金をとられてしまう。こういう面倒なことはさっさとやってしまおうということで、さっそく登録する場所、オビールという役所に行く。何をするにも場所がわからないので、タクシーを拾って行ってみると、なんと今日は戦勝記念日で祝日。当然オビールも休みだった。中にいた警備員の兄ちゃんが、折角きてもらったからと、休んでいるお偉いさんに連絡とって、特別に登録してもらうように10分ほど動いてくれていたが、どうやら無駄だったようで、「ごめん、明日来て」と言われた。休みならどうしようもない。

気がつくと一昨日から何も食べてない。旅に出て、一日一食とかがザラになってきて、体重が10kgほど減った。胃が小さくなったと言えども、さすがにお腹は空く。キルギスの食事を取ろう。
適当に客がいた店に入る。メニューを見ても、全部キリル文字なので、さっぱりわからない。とりあえず、身振り手振りでお勧めの料理を選んでもらった。出てきたのは、目玉焼きとハム、麦ごはんにナン、お茶だった。ナンは焼きたてで美味かった。
さて、会計のときにトラブル発生。店員が手書きで250COM(800円程)と見せてくる。明らかにボリ過ぎ。「おかしいだろ?」と怒ると、200COMになった。それでもおかしい。「メニュー見せろ!」といい、一つ一つの値段を書き出して見せる。合計は119COMだと言うと、「10%のサービス料がかかる」と言う。サービス料なるものが本当にあるのかどうかは疑わしいばかりだが、それでも130COMでいいはずだ。と説明すると結局130COMになった。200COM渡すと、釣りが何故か65COMしか返ってこない。「70COMちゃんと釣りで返せ」というと、なんで?と不思議そうな顔をして、店員が紙に200から130を引いた筆算を書いて、計算し始める・・・・答えは当然70だ。そのとき、自分の計算間違いに気づいたらしく、ちゃんと70COM返してくれた。どうやら、ここの人は本当に計算が苦手らしい。最初の250COMの時点から足し算を間違えていたのだろうか。謎だ。

キルギスのオシュは、ウズベク人とキルギス人が半分半分といった比率で暮らしている。それだけに、この町は人種のるつぼという言葉がよく当てはまる。金髪で青い目の西洋人そのままの人もいれば、中華系の顔なのに目は青色とか、トルコ系、インド系、様々だ。
このような面白い町を散策していると、SHOROの文字の入った飲み物屋があった。興味本位で買ってみると、衝撃!の味覚だった。見た目はドレッシングのような感じだが、飲むとビールのような咽喉ごし、後味はきな粉だった。なにやら麦を発酵させて作った飲み物らしい。たしかにアルコールの抜いたビールみたいな味がしないでもない。

レギストラーツィア(2006/05/10)

朝起きて、滞在登録をしに行く。オシュでの滞在登録が一番簡単にできるという情報を手に入れていたからだ。昨日は戦勝記念日で休みだったので、今日は二度目。 オビールに着くと、昨日と同じ警備員の兄ちゃんがいた。兄ちゃんも昨日の事を覚えていて、代行でやってくれるようだ。10分ほどパスポートをもって走り回っていたが、結局駄目だったみたいで、やっぱり自分で登録してきてと、建物を指差しパスポートを返された。
その指差された建物に向かうと、門の前に居たおじさんに「レギストラーツィア?」と言われたので「そうだ」と言うと、中に通されてお偉いさんがいる部屋に入れられた。その場でレギストラーツィア(滞在登録)をしたいとの旨を伝える。しかし、何やら制度が変わったらしく、この場所ではもう出来ないと言われた。中に通してくれたおじさんが、もうひとつの場所に連れて行ってくれるらしい。彼についていけと言われ、3kmほど離れた場所にタクシーで移動。
その違うオビールにはおじさんもついてきてくれたが、登録のおばさんから驚くべき言葉が返ってきた「登録には3日間必要」とのことだ。事前入手した情報とまったく違った。どこが簡単だよ。オシュに3日も滞在する理由はない。「じゃあもういい」とオシュで滞在登録をするのは諦めることにした。
その場を去ろうとすると、おじさんが「タクシー代100COM(290円)払え」とふざけた事を言ってきた。たったの3kmぐらいしか走っていないのにだ。滞在登録も出来ずにムカついていたので、20COMだけ払ってさよならした。

オシュにこれ以上いてもしかたがない。早急に首都のビシュケクに行こうと思う。オシュからビシュケクには二つの交通手段がある。乗り合いタクシーで15時間ほどかけて、山越えをしながら行くか、航空機で1時間で飛んでいくかだ。値段はタクシーが800COM,飛行機だと1800COM前後らしい。昨日のイルケシュタム峠で、かなり体力が参ったのに、また同じような峠越えをする気力がなかったので、ちょっと高くなるが飛行機ですぐに行ってしまう事にした。
決めてしまったら早い、さっそく空港まで移動する。空港で一番速い便を聞くと、2時間後に出るということだ。料金は1999COM(5800円)だった。情報よりちょっと高くなったが、冷静に考えると、飛行機の値段としては爆安だ。
カフェでしばらく時間を潰していると、すぐにチェックインの時刻になった。チェックイン時にトラブル発生。手荷物検査のときに、日本から持ってきていた万能ナイフが反応した。
「いったん預かりでビシュケクに着いたときにまた返してくれるんでしょ?」と聞くと、「ノー、没収です」と驚くべき言葉が返ってきた。ふざけちゃいけない。このビクトリノックスの万能ナイフは今から乗る飛行機代よりも高い代物だ。「これは高いものだから、なんとかならないの?」と懇願しても、「高いとか安いの問題じゃないよ」と一蹴されてしまう。これはもう諦めるしかないのか・・・・。と肩を落として去ろうとした時、ちょうど上司のような人が来て何かをその係官に言っていた。そうすると「OK、パイロットに預けるから、ビシュケクで返してもらいなさい。」預け書のような書類を書かされて、この紙をビシュケクに着いたらパイロットに渡せば、返してもらえるということになった。
小型プロペラ飛行機そんな経緯で、チェックインを済ませて飛行場に行くと、目の前にある飛行機にビックリ!こんな小さな飛行機は初めてだ。セスナが少し大きくなった感じ。乗客20人乗りくらいのオモチャみたいな飛行機だった。しかも機内を見てみると、全員で10人くらいしか乗っていない。こんなんで採算取れるんだろうか?さらに驚いたことに離陸前にスチュワーデスさんから、先ほどいったん没収されたナイフを今返してもらった。意味ねーだろ(笑)あのやり取りはなんだったんだ。
雪の被った天山山脈ついに離陸時間だ。プロペラがゴオオンゴオオンと最大出力で回り始め、機体もそれにあわせ軋む。思った以上にあっさりフワッと浮かび上がった。重量が軽く、気流で揺れることがある以外はジェット機とあまり大差ない。眼下に見える景色は雪の被った天山山脈がずっと連なり、これをもし車で行くことを選択していたら・・・と思うと、ぞっとした。

イシク・クル湖(2006/05/11)

今日は、朝一番にオシュで失敗したレギストラーツィア(滞在登録)をする。泊まったホテルの領収書とパスポートを持ってオビールへ向かう。昨日、飛行機で首都ビシュケクに着いて泊まったホテル、サリチェレックで英語が話せたお姉さんから聞いた情報によると、キエフスカヤ通りの郵便局の裏手の3階にオビールがあるという。ホテルから歩いて15分のところにあった。
中に入ってみると、すでに凄い人だかり。小さい受付に50人が群がっている。すべての受付をこのひとつの窓口で処理している。なんて非効率なやり方だろう。待つこと2時間、ようやく自分の番になった。「レギストラーツィア」と言ってパスポートと63COMを渡す。すると、領収書をくれるので、それを持って違う部屋へ行き、そこで領収書とパスポートを渡して、ようやくパスポートに滞在登録のスタンプを押してもらえた。とにかく面倒な作業だ。しかしコレを入国して5日以内にしないと罰金1,000COM(三千円)を取られてしまうので、やらない訳にはいかない。ビザが免除されていても、このレギストラーツィアの制度が残っている限り、行き難い国のままだと思う。

午前中でこの面倒な作業が終わり、いまから神秘の湖"イシク・クル湖"に行こうと思う。イシク・クル湖は独立前のソ連時代は外国人立ち入り禁止で、真っ白な万年雪の天山山脈に隠されるようにあった、まさに幻の湖だったらしい。表面積は琵琶湖の約9倍と非常に大きい。また、イシク・クル湖には色々な不思議がある。それらは、
△南米のチチカカ湖に次ぐ世界第二位の高山湖で海抜1,600mにあるのに湖水が凍ることがない。
△周囲から湖に118の川が流れ込んでいるが、流れ出る川はないこと。
△湖の透明度はバイカル湖に次いで世界第二位で、深さ20mまで見える。水中をのぞけば、沈んでしまった理由が未だ解明されていない湖底に沈んだ古城や集落が見える。
など。 キルギスに来たなら、ここを訪れないと来た意味がない。今日中にイシク・クル湖の湖岸にある"チョルポン・アタ"という町に向かうため、バスターミナルに行く。バスターミナルに着くと、チョルポン・アタへ行くミニバスはすぐに見つかった。値段は150COM(450円)。

ビシュケクから3時間ぐらい走ると、イシク・クル湖が見えてきた。目が覚めるように綺麗な景観だ。湖の色は様々に色合いを変えて映っている。パステル調のような色もあり今までに見たことのない、吸い込まれるような青色だ。湖の後ろでは万年雪を頂いた天山山脈がずーっと連なっている。しばらく、見惚れるようにイシク・クル湖を眺めていた。

イシク・クル湖外の景色を食い入るように見つめていた横では、ミニバスの乗客が一人、また一人と自分達の降りたい場所で降りていって、いつの間にか僕らの二人だけになっていた。そこで自分の置かれている状況に気がつき、運転手の兄ちゃんに「チョルポン・アタは・・・・?」とおそるおそる尋ねると、「えっ!チョルポン・アタ!?もうとっくに通り過ぎたよ」 予想通り、呆けっとしてる間にチョルポン・アタより50kmほども東に来てしまっていた。しかし、運の良いことに、兄ちゃんの家がチョルポン・アタなので、家に帰るついでにチョルポン・アタまで引き返し連れて行ってもらうことになった。しかも兄ちゃんは親切な人で、お勧めの宿泊場所まで連れて行ってくれた。そこは一泊250COM(650円)でかなり綺麗なモーテルだ。宿主のオヤジも日本人だと言うと「ハラショー!」と歓迎してくれた。気に入ったのでここで3泊して、ゆっくりしようと思う。

湖水散策(2006/05/12)

昨日、イシク・クル湖の湖岸の町"チョルポン・アタ"に着いたときは、すでに日が暮れていたので、湖を遠くからしか見ていなかった。今日は昼から湖岸をのんびりと散策する。
透明度の高いイシク・クル湖たんぽぽが咲き、蝶が舞い、鳥が囀り、天気は快晴。景色は万年雪を頂いた天山山脈と春になり牧草が生えそろってきた山並み、そこに映えるイシク・クル湖の澄み渡る青い水。いつになく晴れやかな気分で、湖に向かって歩く。湖に近づくたびに水の青さが様々に移り変わり、目を楽しませてくれる。5月というのに、岸辺にはポツポツと湖水浴をしている人もいる。
残念ながら、世界第二位の透明度といわれるほどムチャクチャに水が綺麗というわけでもなかった。湖の位置によって綺麗さも変わってくるんだろうか。透明度はせいぜい2mといったところか。(追記:おたよりによると雪解けの今の時期は、雪解け水が流入するため、あまり綺麗じゃないそうです。)

その後、宿のオヤジに教えてもらった、美人姉妹がいるカフェで食事。いつも混んでるこのカフェは食事も美味しく、美人で接客も良い。これぞハラショー!
あと、おもしろい発見をした。「ちょっと(少し)」の事をロシア語で「ちょっちゅ」と言うみたいだ。カフェのお姉さんが、辛い薬味を指して、「これは辛いから、チョッチュだけ」みたいなことを、指でジェスチャーしながら言ってたので、たぶんあってると思う。