「中華人民共和国編(新疆ウイグル自治区)」シルクロードを放浪した2006年の旅行記

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シルクロードの交差点(2006/04/20-21)

前に書いたとおり、チベットへ行くか中央アジアを行くか迷っていたが、結論として中央アジアを抜けていく方向に決まった。理由としては、リーの所持金の少なさからチベット入国時に3万円近くかかる費用が厳しいからだ。逆に中央アジアを選んだのは、ソビエトから独立してまだ15年ほどしか経っていないカザフスタン・キルギス・ウズベキスタンなどの国々に行った旅行者が少なく、情報も少ないので冒険心が掻き立てられる。それに、ウズベキスタンにあるサマルカンドは全盛期、シルクロードの中心都市であったところ。シルクロード横断を目標として旅している僕としては、当時の趣をたっぷりと味わえる場所として是非訪れてみたい。このような理由から、パキスタンの風の谷"フンザ"は今度の旅行に置いておいて、今はまさにシルクロードをゆこうと思う。

中央アジアの情報が手元にまったく無い状態なので、インターネットカフェで情報集め。色々調べてみると、少ない情報ながらも少しずつわかってきた。ビザの他にロシア特有の制度が残っていて、入国後にレギストラーツィア(滞在登録)という面倒くさい事をしないといけないこと。貧しい国なだけあり、警察官が一番腐っていてスリや恐喝されまくりなこと。アフガニスタンが近いだけあって、爆破事件があったりする事などがわかってきた。こう書き連ねていると、ひどい国に思えるだろうけど、キルギスのスイスのような自然やウズベキスタンのティムール帝国時代から続く歴史ある都市などの写真を見ると、純粋に行ってみたいという気持ちになってくる。
まずは、中国から入国しやすいカザフスタンに向かう。なので隣接地域である新疆ウイグル自治区のウルムチに行くことにした。新疆は新天地の意味通り、かつては中国の土地でなかった。東トルキスタンと言われていた時代、中国人民解放軍により占領されてしまった国だ。ウイグル人は新疆と言われることを嫌う。

ウルムチへは寝台バス(180元)で向かった。途中、星星峡という地名のところでウイグル自治区に入る。ロマンチックな名前の通り、空を見上げればまさに満天の星空だった。窓から星を眺めながら、微妙に足が伸ばせない異臭のする寝台に耐えること15時間、翌日朝10時にウルムチに到着した。5年前、ウルムチに4日ほど滞在して、大体の地理はわかっていたつもりだったが、今日到着した街はどうだ。この変わりようにビックリ。たった5年でビルが立ち並ぶ、大都市になっている。そこらじゅうに漢字の看板が目に止まって、ウイグル語があまり見られなく、ウイグルに来たと感じられないのは少し寂しい。
とりあえず、以前来たときと同じ宿に泊まることにした。その新疆飯店に来て、また寂しくなった。以前はここにはビルは無く、この周辺ではかなり目立ったHOTELだったのに、今はその周りに高層ビルが立ち並んでいる。新疆飯店のさらにボロくなった外観がより一層、時の無常さを表している。でも、懐かしいこともあった。以前と同じ階に泊まれたことだ。ボロっちく汚い共同シャワーやトイレはまったく変わりなく存在しており、前回の旅行ではこのHOTELで初めてドミトリーを体験し、外から丸見え状態のトイレも初体験した場所。その時の記憶が鮮明によみがえってきた。

とりあえず、カザフスタンビザを取り、なおかつさらなる中央アジアの情報集めの為に、ウルムチに8日間滞在する予定。

カザフスタン大使館(2006/04/24-26)

ウルムチにきて、ようやく大使館の空いている月曜日になったので、朝一番にカザフスタン大使館に行く。市バス(1元)で40分ほど行った場所に大使館がある。大使館前は朝9時だというのに、5,60人ほどの人だかりになっていた。
この大使館は変わった方式で入場登録しないと中に入れてくれない。プレハブの中にいるおばちゃんにパスポートを渡して登録してもらう。この登録窓口前も大使館内に入りたい人で団子状になっていた。こんなの待っていたら日が暮れてしまう。ネットで調べた情報によると日本人は優先的に受け付けてくれると書いてあったので、強引なやり方だが従業員用ドアを勝手に開けておばちゃんにパスポートを渡して登録してもらった。
今度は大使館入り口。ここも戦場となっている。入り口の警備員に入場登録は済ませた事を告げて中に入れてもらわなければならないのに、順番に並ぶという文化の無い中国では皆我先にと警備員に向かって書類をみせて入ろうとする。僕らも負けじと人を押しのけ、なんとか警備員に見せて入ることができた。ここでも日本人だと解るとさっと通してくれた。
登録手続き自体はすんなりと終わり、ビザ代もそんなに高くなく、シングル,87元(1,300円)と手ごろな値段だった。

3営業日経ち、受け取りの日になったので、ビザを受け取りに再び大使館に来た。受け取りは12時からなので、12時ちょうどに着いたら、またもや人だかりの山。しかし待てどもなかなか扉を開けてくれない。一時間半ほど外で待たされてようやく、受け取りとなった。待っている間、何故か警備員の指図で立ったまま並ばされて待っていたので、隣にいたカザフスタン人のおばちゃんと仲良くなってしまった。カザフスタン人は日本人と顔が良く似ている。なので、僕が喋るまで同国の人と思われていたみたい。しかし、瞳を見るとやっぱり日本人とは違い、カザフスタン人には碧眼の人が多い。

ウルムチ近郊には観光地は沢山あるが、ウルムチの街自体には見るべきところは無い。ビザを取得するために、街にしかたなく滞在しなければならない時は、日々暇を持て余している。

カシュガル(喀什)(2006/04/28-29)

無事にカザフスタンビザは取れたが、中央アジアを抜けるには様々なルートがある。このままカザフスタンに行ってからキルギス→ウズベキスタンと移動するか、もしくはウイグル自治区のカシュガルまで移動して、峠の国境を越えてキルギスに入り、その後カザフスタン→ウズベキスタンと移動するパターンもある。
問題として先にカザフスタンにいく場合、国際列車が月曜日と土曜日しか出ていなく、しかもチケットの発売が何故か月曜日発は金、土曜日のみ、土曜日発は月、火曜日のみの発売と指定されているので、現在金曜日の今からだと強制的に月曜日出発の国際列車で行くしかない状況になっている。すでに一週間もビザを取るためとはいえウルムチに滞在している状況で、これからさらに3泊もウルムチにいるのも無駄だと思い、先にキルギスに入るルートで行くことにした。なので、キルギスとの国境・イルケシュタム峠を越えるため、ひとまず中国の最も西に位置する都市、カシュガル(喀什)に寝台バスで移動する事にした。

寝台バスは午後5時に出発。タクラマカン砂漠北部をなぞる様に整備された道を、延々と続く荒涼とした大地を横目に見ながら走りぬけてゆく。
午前3時頃、バスが突然止まる。何かと思って外に出て見ると、前方の車すべてがエンジンを止めてジッと待っている。どうやら関所みたいな所で止められているみたいだ。しばらく経たないと通行できないみたいなので、折角だから満天の星空の中、タクラマカン砂漠に向かって放尿した。大阪では絶対に見ることの出来ない、降りそそいできそうな星々を眺めながら、砂漠で大きい方も出しといた。ものすごい開放感。

昼過ぎにカシュガルに到着。所要時間はなんと20時間ほどで着いてしまった。中国でも日本と同じ時期に5月の大型連休がある。その連休前で、すでに満員でチケットが買えなかった快速列車よりも速く着いたのには驚いた。カシュガルまで来ると、さすがに漢族は少なく中国の雰囲気はあまり感じられない。

大型連休の悲劇(2006/04/30)

明日、イルケシュタム峠を越えてキルギスに行くはずだった。しかし、長距離バスの窓口で聞かされた衝撃の事実。「バスは5月8日まで、無いよ」の一言だった。どうも連休の為らしい。中国には日本と同様というか、それ以上に長いゴールデンウィークとも言うべき大型連休がある。5月1日から一週間以上も休みになってしまう。
そんなに長い間、無為に過ごしていられない。それならばタクシーやヒッチハイクしてでも国境に行くしかないと思い、それに向けて情報集めをするとさらに衝撃の事実。なんと連休の間は、国境自体も休みになるらしい。結局、連休の終わる8日までどうすることも出来ない。もはや選択の余地は無く、強制的にこの地に足止めをくらう事になってしまった。

カシュガルのイスラム建築
カシュガルの田舎道悩んでも、どうにもならないので、僕らも大型連休をとる事に・・・。ボケ~ッとして旅の疲れを癒すことにしよう。砂埃は厳しいけど、幸いカシュガルは人が良く居心地がいい。この日は、町をよく知るために、散策することにした。目的もなく、うろついているといつの間にか旧市街地に入り込んでいた。ここにいると、やはり文化がそうとう違ってきて中国とは思えない。

絲繍之路(2006/05/05)

神秘なる砂の舞,はるかなるタクラマカン砂漠,永遠の路・・・。様々に形容されるシルクロードへの憧れをもって、中国に入ってから西へ西へとやってきた。小学生の頃、初めて音楽CDで喜多郎のシルクロードを聞いた時から、西域へと続く絹の道"シルクロード"に、懐古の念に似た表現し難い気持ちが沸々とわきあがっていた。その積年の気持ちが爆発して、行動に移してしまったのが今回の旅になる。特にタクラマカン砂漠に対して憧れの気持ちが強く、今まさにそのタクラマカン砂漠の西方に位置する町、カシュガルにいる。
それだけ、強い気持ちをもって飛び出した旅行なのに、忘れていた。キルギス行きのバスが出る5/8まで、本当にボケーっとご飯食べて寝るだけの過ごし方をしてしまう所だった。それに気がついたのが今日。気づくの遅い。もう4日間くらい適当に過ごしてた。これではいかんと思い、カシュガルの町をもっと散策することにした。

さらに、よくよく考えるとキルギス・オシュ行きの5/8出発のバスチケットをまだ購入していない。以前、窓口で聞いたとき、「次は5/8になります」と聞いただけで、ショックでそのまま帰ってしまったからだ。ボケすぎ。早速、チケット購入しに行く。料金は420元(6,300円)もした。しかも、人数が集まらないと出るかどうか解らないという。まあ、あちらも商売なので文句言っても仕方ない。散策の前の腹ごしらえに食事をとる。最近よくかよってる、おいしいウイグル料理のお店でプロフとカバブ,ヨーグルトをたのむ。安いし美味い。ヨーグルトは信じられないほどうまい。

カシュガルのシシカバブ―
カシュガルのヨーグルトエネルギー充電して、いざ散策。まだ行ってない町の東にある、中央アジア式イスラム陵墓、アパク・ホージャ墓へ行く。3,4kmほど歩いたところにそれはあった。入場料15元を払い中に入る。実にイスラムチックな建物があっただけで、特にどうこういうものでもない。

カシュガルの旧市街
カシュガルの旧市街地それより、ここに来るまでに見えた旧市街の方が気になったので、そちらに向かって歩いていくことにした。旧市街に入るとおもしろい。子供が沢山遊んでいて、「ハロー!」と元気よく声を掛けてくる。旧市街と言うと、語弊があるかもしれない。実際にウイグル人が住んでいるので、ウイグル族の住宅街といったところか。ここは、まるで迷路だ。目星を付けて歩いていった道が行き止まりだったり、また同じ場所に戻ってきてしまったりで、ぐるぐると彷徨った。よく見ると、路地の壁にペンキで矢印が書いてあったので、それに従い道をゆくと大通りに出ることが出来た。矢印案内があるということは、どうやら地元の人でも迷ってしまう事もあるのだろうか。