「中華人民共和国編(敦煌)」シルクロードを放浪した2006年の旅行記

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オアシスの町"敦煌"(2006/04/14-16)

北京→敦煌(柳園)の列車は19:24出発だったので、時間までファーストフード店内で時間を潰す。ファーストフードの店が一番心落ち着ける所というのも、なんだかなぁ~とは思うけど、すぐ目にゴミが入る北京で外にいるのも辛い。
列車に乗るのに慣れてきたせいか、緊張感無くゆっくりしすぎて、駅に到着したときは列車出発間際になっていた。当然のごとく、荷物置き場は埋まっている。しかし、リーは中国に来て人が変わった。すでに置かれてあった荷物をどかして自分の荷物を置くという大胆な行動にでた。これには中国人も呆気にとられて苦笑いする始末。リー・・・。一緒にいる僕が恥ずかしいよ。でも、一緒になった硬臥の中国人がいい人で、自ら荷物置き場を空けてくれた。突発的な行動にいつも仰天させてくれるリーは見てて飽きないが、ちょっとは人の目を気にしてくれ。

敦煌の最寄駅"柳園駅"へは北京から34時間かかって、翌々日の朝5時に到着。改札を出るとご苦労なことに、大勢の白タクの運ちゃんが「敦煌・敦煌・敦煌!敦煌行くよ!」とまた客引きだ。この柳園駅から敦煌市内までは130km。タクシーなんぞ使ったら、高額請求されるのは明らかだ。なので、安く20元(300円)で敦煌に行けるミニバスが出るのを待った。乗り合いバスなので、8時頃になってようやく人数が集まり出発。不毛の砂漠の中を2時間ほど走りオアシスの町に到着した。

敦煌は砂漠の町なだけあって、予想通り砂煙でいっぱいだった。移動の疲れでかなり眠たいので、すぐに宿泊所を探す。適当に目星をつけて莫高賓館というところで泊まることにした。宿泊料金を見ると二人部屋で240元とあったが、フロントで聞いてみると「オフシーズン料金の160元でいいよ」と言ってきた。160元では予算外だ。なのでいつものように「学割ありますか?」と聞いてみたところ120元に下がった。さらに「4連泊するからもう少し安くして」と言うと、100元にしてくれた。とりあえず、どんな部屋なのか見せてもらうとトイレ・シャワー・TV・エアコン付きと悪くない。しかし、ホテル自体にまったく人気が無い。これはオフシーズンで、よっぽど客が来なくて困ってるんだろう。まだ値段は下がるとみて、フロントに戻り「80元ではどうかなぁ~?」と駄目元で聞いてみると、フロントの兄ちゃんは、ちらちらと外を見ている。タイミングの良いことに外には他のホテルの客引きが待ち構えていた。しばらく悩んだ末、「二人で80元(1,200円)でいいよ」と了承してくれた。言ってみるもんだ。

鳴沙山・月牙泉(2006/04/17)

よく砂漠をイメージすると、さらさらの砂粒に大きな砂の峰、駱駝の隊商、突如現れる砂漠に浮かぶオアシス・・・。これらを体験できる場所、それが鳴沙山・月牙泉だ。今日は昔から憧れていたイメージ通りの砂漠に行く。

敦煌市内から鳴沙山・月牙泉まではかなり近く5kmほど。歩いていけないこともない距離だけど、砂塵がすごいのでバスで行くことにした。鳴沙山行きのバスが走っているのを見つけて、手を上げて止めて乗り込む。距離が短いので安い、1元(15円)。バスが鳴沙山に近づくにつれて、巨大な砂の山が見えてきた。俄然期待は膨らむ。バスを降りて、水を購入していざ砂漠へ!

鳴沙山入場料金は80元(1,200円)高い!砂漠にまで金をとるなよ。砂漠に入ると、「駱駝に乗らんか?」と客引きがいっぱいだ。しかも50元もする。無駄遣いはしたくないので、駱駝の写真だけとって歩いて月牙泉へ。
歩いて少し行ったところで唖然。月牙泉の真横に人工池を造り、花壇を植えて人工的な変なオアシスを作ってる。中国人の精神構造がわからない。何故どこでもかしこでも歴史的価値を損ねるような事を平気でしてしまうのだろうか。頭の中は金儲けしかないのか。

そんなセンスの欠片も無い場所は無視して、本当のオアシスへ向かう。ここ、月牙泉は鳴沙山の砂の峰の谷あいにある。三日月形の泉をしており、どんなときも泉が枯れたことは無いという。泉のほとりには楼閣が建ち漢の時代から遊覧池として残されてきた。だが、さきほどの人工池など人的要因で泉の水位は年々下がってきている。
そんな歴史とは裏腹に間近で見ると、予想通り変な修復に加え、月牙泉の周りを無粋な鉄柵で囲っている。だめだこりゃ、こうなったら砂漠だけを楽しもうと、砂の峰の頂上まで歩いて上って、上から砂漠の景色を眺めることにした。上ろうとしている砂山は角度70度くらいあって、足を踏み込むたびに脛まで埋まる。靴の中に大量に砂が入り込み、予想以上に前に進まない。何度も上まで歩こうと言ったことを後悔しながら、息を切らして水も飲み干した頃、ようやく頂上へ。
頑張った甲斐あって、頂上からの景色は圧巻だった。砂の峰が果てしなく向こうまでつづく、まさにイメージしていた砂漠だ。また、ここから見える月牙泉も近くでみるより往年の雰囲気がよくわかる。まさにオアシスだ。しばらく頂上でボーっとひとときを過ごそうかと思ったけど、たびたび吹き荒れる風により砂粒が猛烈な勢いで顔や体中にビチビチとあたってくる。耳にも細かな砂が入ってくるので、一時耳が聞こえなくなった。とてもじゃないけど、長居はしてられないので、滑りるように砂山を降りた。降りるときは早い、上るのに30分ほどかかったのが、30秒で下に着いてしまった。

鳴沙山・月牙泉
タクラマカン砂漠砂漠で遠くを見ると、物の大きさが曖昧に見えて遠近感があまりつかめない。簡単と思った砂山も砂に足をとられて、思うように進まない。遥かなる昔、シルクロードの砂漠越えが、過酷でまさに命がけだったことを今日は身をもって知った。

莫高窟(2006/04/18)

敦煌の南東約25km位置する、山の断崖に366年から開削された中国有数の石窟である"莫高窟(ばっこうくつ)"を見に行く。
何故か、敦煌市内からはツアーを利用する以外にバスはなく、個人で行くにはタクシーを利用するしかない。中国の現地ツアーはもうお腹いっぱいなので、僕らはタクシーを使って行くことにした。走っているタクシーをつかまえて、値段交渉するも片道40元(600円)以下にはならない。しかたないので、帰りはなんとかなるだろうと思い、往路だけ行ってもらうことにした。
20分ほど走って、莫高窟に到着。チケット売り場でビックリ。料金設定がふざけている。外国人料金をとっており外国人は120元、中国人なら100元となっている。腹が立つので、黙っていれば僕らも中国人と見分けがつかないだろうと、中国人料金100元(1,500円)でチケットを購入。
莫高窟の入場がまたややこしく、ガイドが付いてくる。しかも20人前後集まってガイドが一人付くという方式なので、人数が集まらないと入れてくれない。またガイドは当然中国語で喋るので何を言っているのか解らなかった(外国人料金で入ると音声ガイドが付いてくる)

5年前、新疆ウイグル自治区のトルファンで、今訪れている莫高窟と同じような山の断崖にある石窟、"ベゼクリク千仏洞"に行ったとき、それは火焔山(かえんざん)の山中にあり、過酷な環境に石窟があった情景に感動したが、ほぼ石窟内部の仏教壁画がイスラム教徒によって破壊されていたことが非常に残念だったのを憶えている。しかし、この莫高窟は仏教勢力化にあったためほぼ破壊を免れており、石窟内部はほぼ当時の様子が見学できる。後世の拙劣な補修で少しおかしな感じになっていたが、まだ遥かなる昔に繁栄していた頃を思い起こせるレベルだったのでよかった。しかし、許されないのが外観。あまりにも酷い。492もある石窟だが、それ全部に扉をつけて、その周りはコンクリートで覆われていた。情緒もクソもない。コンクリートの壁に扉が何個もついているので、まるでマンションのように見える。なんで第一級の世界的歴史遺産をこのように扱えるのか、全く理解できない。

莫高窟
コンクリートで補強した莫高窟予想以上に酷い遺跡の外観に愕然としつつ、見るものみたし市内に帰ろうとするが、いくら探せど市内まで帰る足が無い。バスはいっぱい止まっていても、それは全部ツアーバスだ。タクシーが一台だけ止まっていたが、聞いてみると往復でチャーターした客を待っているらしい。どうやって帰ろうかと思案していると、ツアーバスではない、少し変わったミニバスが前に止まっていた。このミニバスに相乗りさせてもらうことにしたが、このミニバス、実は莫高窟にある露天や商店のお店の人用の送迎バスだった。つまり彼らが店仕舞するまでバスは出発しない。他に帰る手段といえば、歩いて帰るくらいしか選択肢がないので、しかたなしにバスが出発する時間、お店の閉まる時まで3時間ほど待って市内に戻った。