「上海から大阪まで」中国を一人旅した2001年夏の日記

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天候が悪かったせいか、かなり揺れた船の中、まるでやることがなかった。

9月4日

朝8時に起きて帰国の準備をする。
いらない物は全部捨てて出来るだけ軽くし、なんとか自分一人で持てるぐらいに荷物を減らして、昨日買った大きな絵画をもってチェックアウト。
デポジットが帰ってきたので、中国元が残り1000元(15000円)以上も残ってしまった。
もう、土産を買う時間はないので、港で再両替してもらうことにして、タクシーで上海国際ターミナルへいく。
一昨日、見に行ってみてわからなかったのだが、そりゃわからないはずだ。上海国際ターミナルはすごく汚くて、まさかこれが国際ターミナルな訳がないと素通りしていったところがそうだった。
ターミナルへ行くともうすでにすごい人が並んでいた。僕も港使用料22元を支払い。並ぶ。案の定一番後ろだ。

10時にようやくチェックインと出国審査だ。僕はどこで再両替してくれるのだろうと心配しながら出国審査を済ます(なぜなら中国元は持ち出し禁止なので日本に持って帰っても両替してくれない、日本に持っていったらタダの紙くずになってしまう)
出国審査を済ますと、後は船に乗るだけでまったくそれらしきところが見あたらない。これはまずいと思い、近くにいた日本人らしき男性に聞いてみる。
僕「日本の方ですか?」
男性「あ、はい、そうですよ」
僕「再両替って何処でやるのか、わかります?」
男性「さあ、私は知らないですが、聞いてみますね」
実はこの方、中国語がペラペラ。出国審査の人に再両替のことを聞いてくれて、場所が判明。
なんと出国審査をうける前にあったのだ。でも、僕はもう出国審査を終わってしまっているので、ゲートの向こう側に戻ることは普通ではできない。だが、この親切な男性が出国審査の人に説明してくれて、特別に通してくれるように配慮してくれた。実にありがたい。ありがたいついでに僕の荷物を見て置いて欲しいと頼んで、すぐに再両替しにいく。レートが悪いのか13500円しか返ってこなかった。

戻ってくると、先ほどの親切な方が、御自分のカートに僕の荷物まで載せていてくれて、「重いでしょうから、持っていてあげますよ」と言ってくれた。実にありがたい。
彼と旅のことなどを話し込んで船の搭乗まで一緒に待つ。
船に搭乗する時も一緒に僕のチケットも渡してくれたり、非常に親切だ。
彼は2等B、僕は2等Aだったので、船室が違い残念だ。

自分の船室に行くと、先に入室していた人が一人いた。日本人だったので、その人としばらく話す。 次に入ってきたのも日本人だった。日本に向かう船だから日本人が多い、行きの船とは大違いだ。
結局5人部屋だったのに僕を含めて3人だけ。今の時期は乗船者が少ないようだ。

12時きっかりに船は出航。
そのあと、同室の人たちと船のレストランで昼飯を食べる。予想していたとおりそんなにおいしいものでもない。
それにしても、蘇州号は出来てまだ間がないのだろうか、ものすごく綺麗です。行きの燕京号とは雲泥の差だ。

飯食った後、図書室にあった日本の新聞を読んでいると、どこかで聞いた声が僕を呼んでいる。
振り向くと、なんとトルファンで一緒にツアーをした人ではないか! 
そういえば、すっかり忘れていたが彼も9月4日の蘇州号で帰るって言ってたな。
しばらく、お互いにその後どこにいったのかなどを話す。

蘇州号、風が強いせいなのか結構揺れる。日記を書いていると・・・・・・吐きそうだ。

仲良くなったやつらと夜中、卓球をする。

9月5日

目が覚めると海の色が黄色から青色になっていた。島も見える 九州の島だ。もう日本海域である。
それにしても船旅は様々な旅慣れた人と出会えるが、基本的に暇だ。やることがない。日記を書こうにも揺れが酷くてとてもじゃないが書いていられないし、本も読めない。卓球するか、甲板でボーっとするか、寝るかぐらいだ。今日も卓球大会(涙)暇ですな。

9月6日

起きるともう、着岸し始めていた。目の前はもう大阪である。寝過ごした、今は10時半。みんなもう船から降りようと並んでいる。
まだ荷物をまとめていない僕は、急いでまとめてついでにトイレに行くとみんな降り始めていた。
僕も船を降り、入国審査だ。基本的に日本人だから、入国審査はあっさり済む。
去年の大西洋横断・ヨーロッパ縦断旅行と違って「あぁ、日本に戻ってきたんだ・・・・・」という感覚はまったくなかった。三週間弱の短い旅行だったこともあるが、中国と日本は基本的に文化形態がほとんど変わらないからという理由もあるだろう。

次は東ヨーロッパ、ペルー、エジプト、インドのどれかに行きたい。