「ウルムチからトルファンまで」中国を一人旅した2001年夏の日記

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トルファンは恐ろしく暑い。昔にシルクロードの天山南路・北路を連結する要衡地点として栄えただけあって、たっぷりとその雰囲気を味わうことができる。

8月19日

朝、8時半に起床。今日はウルムチから180km離れているトルファンまで行く予定だ。すぐに顔を洗い、汚いトイレで出す物を出して(^^;同室の人に挨拶して、チェックアウトする。

まずはバスターミナルに行かなければならない。歩きではとてもいけない距離なのでタクシーで行こうと思っているのだが、なかなかタクシーが見つからない。
2kmほど歩くと、3台集まって窓から雑談しているタクシーの運転手達をみつける。一番近くのタクシーの運転手に中国語で書かれたバスターミナルの住所を見せる・・・・・・・・が! ぜんぜん読めないようだ(涙)他のタクシーの運転手達もよってきて見てくれるものの、理解できない様子。

まったく忘れていたが、ここはウイグル自治区だ。漢民族が流入してきたことで、看板などは漢字で書かれていることが多いが、言語はウイグル語が主流のようだ。ウイグル民族で漢字が読めない人がいてもおかしくない。それ以前にカザフ族、モンゴル族など42の民族がいるそうだ。そういえば、町で聞こえてくる言葉は中国語の発音ではない。

こうなったら、やはりボディーランゲージしかない。
間違われて「トルファンまでいってくれと言っているのか?」と思われたりしたが、バスという英単語をあちらが知っていたので、何とかわかってもらえた。
7kmぐらい走って到着。6.5元(100円)だから北京と比べると格段に安い。運転手はなかなか愛想がよく、がタクシーを降りても手を振ってくれる。

バス停のチケット売り場に行くと、客引きっぽいオジサンが話しかけてくる。鬱陶しいので無視していたが、唐突に英語で「Where are you from?」と言われたので、つい「Japan」と答えてしまった。
そしたらこのおっさん「こんにちは」と日本語で喋ってきたではないか。しかもペラペラ(^^; 

このおっさんの話では、「40元(600円)でトルファンまでの車で行きます」とかいう。
バスでは24元(360円)でトルファンまで行けるのだ。
でも、なんとなくバスの切符買うのもめんどくさくなったし、すぐに出発するというので、まあいっかと承諾した(外国で積極的に観光客に話しかけてくるのは、ボッタクリかペテン師と相場が決まっているのだが・・・・)

もうどうにでもなれという気持ちでついていくと、ここで「2分待ってくれ」と言われ、次に「車を回してくる、見つかったらあれだし」と言われる。(見つかったらあれって・・・・・・何?どういうことだ?やばいんじゃないか?逃げるか?)と思っていると「すみませんお待たせしました」とすぐに戻ってきた。もう逃げらない(涙)

なんか妙にあやしいので、探りを入れてみる。
「日本語上手ですけど、どこでならったの?」とまずは当たり障りのないことを聞くと「半年間、日本語学校で勉強しました、日本の友達もいたので彼とも会話で覚えました」
次に「なぜ、トルファンへ?」と聞くと「は仕事でトルファン、ウルムチ間を週に三回ぐらい往復しています。ガソリン台を節約するためにこのように客を乗せたりしていきます」と言う(ほぅ、そうなのか。じゃあ大丈夫かな)と少し安心していると、なぜか知らないホテルの前に停車・・・・・・「ちょっと友達を呼んできます。一緒にトルファンへ戻る友達です」
・・・・・・・・( ̄□ ̄;)!! やばい! グルになって身ぐるみ剥がされるかもしれん。かなり不安になってきた。幸い車の鍵はささったままなので、おっさんがいない間にトランクから荷物だして逃げようかと思っていると、ウイグル族の女性が車に無言で乗り込んできた。次にウイグルの男性だ。は助手席に座っている。二人は後ろだ。そのうち、おっさんが戻ってきて車を発車させる。車ではウイグルの男性とおっさんがしゃべっているのだが、なにをしゃべっているのかにはさっぱりで余計不安になってくる(こんな精神的苦痛を受けるなら、バスで行った方がましだ)

一応、トルファン方面に向かっているようだ。
ところが、すぐにまた停まる。(なんだ?)と思っていると、おっさん「朝食みんな食べてないので、お腹空きました。食べます。がおごりますからあなたも食べてください」という。しかたなく外に出ると、おっさんがなぜかどっかに消える( ̄□ ̄;)!!
とウイグル男性、女性だけになる(むちゃくちゃ不安なんですけど)
なぜか初対面のウイグル人たちと食事をすることに。
山羊のミルクかなにかにパンを浸すやつと肉まんを食べる。言葉が通じないので終始無言だが、お茶を注いでくれたとき「謝謝」というとなんかすごく喜んでるし(わけわからんのですけど)

飯が終わるとに金も請求せず、ウイグル男性が支払った。
そのうちウイグル女性はタクシーでどっかに行ってしまう(彼女は何しに来たんだろう?)

とウイグル男性だけになる。ウイグル男性がずっと座って待っているのでも一緒になってなぜか待つ(荷物はトランクの中だからどこにもいけない)

10分程待っていると、おっさんが日本人らしき人を連れてやってきた。
あちらの方から「日本人ですか?」と言ってきた。
どうやら、この人もと同じように捕まったらしい(;´Д`A ```
同士ができたので(笑)少し不安解消。しかもこの人、9月4日の蘇州号に乗って日本に帰るというので、なんかものすごい親しみが沸いた(^^;

おっさん、ウイグル男性、さっき捕まった日本人、僕の四人で12時に、ようやくトルファンに向けて出発する(バスで行った方が早かったぞ、絶対!Σ(▼□▼メ))
市街地を抜けた主要幹線道路に入るとおっさん、140km以上だして走るのでおそろしく怖い。
しかもこの道路は片側一車線で片方は対向車線だ(中央にガードレールのない道路)でガンガン追い越していくので、正面衝突しそうになること十数回。

そのうちおっさん、トルファンの観光案内のパンフレットを見せてきて「よろしければ案内しますよ」という。
一応、値段を聞くと550元(8250円)だという。高すぎる。
それなら、トルファンでバスで移動だけの50元(750円)のツアーを自分でとったほうがいいではないか。僕はぜんぜん乗り気でなかったのだが、同乗した日本人の方が結構乗り気だ。そのうちおっさん名刺を渡してきた。観光ツアー仕事だ。
まいった、どうも僕はまんまとひっかかったらしい。40元でトルファンまで行くというのは餌でトルファン観光ツアーに行かすのが本当の目的らしい。
やはり、外国で声をかけてくる人の相手をするべきではなかった。

おっさん、ジュースを買ってきてくれたり、やたらに媚びを売ってくるので余計に気持ち悪いし、あやしさが増してくる。
それはそうと、車から見える景色は絶対に日本では見られないような景色だ。どこをみても砂と岩、そしてまったく木が生えていない山、本当にそれだけ。しかも恐ろしく暑い。さすが火州と言われるだけある。牛魔王がいて燃えてる山があっても不思議ではないような気がしてくる。

岩と砂の山

午後2時にトルファン市内に入る。
自分の中では、シルクロードの雰囲気がたっぷりで昔のままの風景を想像していたのだが、道はちゃんとアスファルトだし、ビル(ビルといっても五階建てぐらいだが)も建ってる、少しがっかりだ。

トルファン市内

おっさんは、最初に言っておいた高昌飯店まで車で送ってくれた。
が当初の約束通り40元を払い、もういいというのにおっさんはホテルの中までついてくる。
もうカモを逃がすまいという気満々みたいな感じだ。

まあいい、おっさんのことは放置してホテルのフロントに「部屋は空いてますか?」と聞くと、うまい具合に空いていた。
早速、値段交渉だ。「4日泊まるからまけてちょうだい」というと180元(2700円)が160元(2400円)になった。

ホテルの部屋に入るとなぜかおっさんまでついてきた(なんなのこの人は)
とりあえず、おっさんを外に出して話をする。またしつこく「ツアーへ行こう」と誘ってくる。というかツアーを承諾するまで帰らないという雰囲気だ。
ホテルの部屋がばれてしまっているので冷たくあしらってしまうと、後でどういう報復されるかわからない。しかたなく「さっきの日本の人と話し合うから」といい、日本の方と相談タイム。

彼は火焔山と世界で二位の低地にある塩湖のアイディン湖に行きたいという。
は火焔山とベゼクリク千仏洞だ。ということで、火焔山とアイディン湖、ベゼクリク千仏洞だけで安ければ行くということに決定した。
これで、いくらで行くのかを聞くと、「一人550元(8250円)だ」と言われる(値段変わってないし)
がそれはあまりにも高すぎると言うと、おっさん「私は40元(600円)でここまで送ってきたんですよ、本当なら400元(6000円)はしますよ」と言いやがる。
が「それとこれとは別だろ、というか400元もするか!タクシーでも150元ぐらいで行ってくれるわ、呆けが!」とは言いませんでしたが^^;、「だめ、そんなに高いならは行かない」と言うと、じゃあ「二人で600元(9000円)、一人300元(4500円)でいいです」という(そんなに下がるものなのか?)
そんなこんなでいつの間にか断り切れずにオーケーということになってしまった。
明日の朝、北京時間の8時にホテル前で待ってるといって別れる。あの日本人の彼は別のホテルで泊まるからといって彼らと行ってしまった。彼には恐怖感というのがないのだろうか、それとも僕が臆病すぎなのか?

とりあえず、部屋に戻りエアコンで涼む。本当にエアコンがないと死んでしまいそうな国だ。
まだ二時半だし、ずっと部屋でごろごろしていてもしかたがないので、市内から近いところ、ここから7km離れている「蘇公塔」というところを観光しにいく。

ここへのルートはウイグル族の生活がそのまま見れるとガイドブックに書いてある。
やはりここまできて中心街にいてもしょうがない、彼らの生活を堪能するため歩いていく。

トルファンはロバ車が行きかう

中心街から1kmも歩かないうちに急に町の様子がガラリと変わる。
アスファルトはなくなり、砂利の田舎道で、そこら中にロバ車が行き交って、シルクロードを彷彿させてくれる。

ロバ

ウイグル族の子供たちは人なつっこくをみるたびに「ハロー」と声をかけてくる。トルファンはシルクロードで西域との交流が深いため、西洋人の血が混じって整った顔立ちだ。たまに碧眼の子供もいる。

トルファンの子供たち

それにしても暑い、まずいことに水を持ってきていない上にこんな所に商店があるわけがない。
おそろしく汗が噴き出てくる、温度計はないが40度以上は絶対あるだろう。日陰で何度も小休止しながら、なんとか蘇公塔が見えた。イスラム風の塔だ。

蘇公塔

観光地だから蘇公塔の前には出店があったのでそこでお茶を購入。
水分補給しておちついたところで、蘇公塔の中に入る券の値段を見ると20元(300円)だ。ちょっと高いぞ。しかしはるばる歩いてやってきたので、せっかくだから入ることにする。

中に入っても何もない、ただの空洞だ。
上に登っても中途半端な高さなので、決して眺めがいいというわけではない。
裏側に回ると、ちょっとした遺跡があった。それをみながら、突き進んでいくとブドウ畑がある。
横に道があったのでなんとなくそこを通ると、なぜか外へ出てウイグル族の住居に戻ってきた(裏から行ったらタダで入れたのか(^^;)

帰り道が行きと同じ道しかないので、しかたなく来た道を戻っていると、なんかみたような顔の人がいると思ったら、さっきの日本人ではないか。彼も蘇公塔を見に歩いてきたそうだ。それにしても小さい町だ、観光客も彼と僕以外いないようだった。一応、さっきの裏道を教えてあげる。

彼と別れてから帰り道でもやはり、ウイグル族の子供たちに「ハロー」と声をかけられながら帰る。
途中でお茶とゆで卵を購入して日陰で食べる。ホテルに戻り一時間ほど休憩して、食事をしに行く。

ウイグル族の住居

ウイグル自治区は時間がややこしく、北京時間とウイグル時間があり、その時差は二時間だ。大抵は北京時間で動けばいいのだか、たまに鉄道やバスがウイグル時間で動いている時がありわかりにくい。ともかく北京時間だと夜の10時でも明るいのだ。

北京時間の20時に食事のため外にでたのだが、昼間とは違い、ジリジリと焼けるような暑さはなくなっていた。でも、日本に比べるとまだまだ暑い。
さらに驚いたのがすごい人だ!昼間の10倍はいる。
どうもここの人たちは昼間は暑いのであまり動かないようだ。妙に納得した。

町の中心に向かっていると、たくさん出店があったので匂いにつられてそこに行く。そこでシシカバブ、どんぶり一杯の水餃子、瓶ビール一本を注文。それで13元(195円)だから安い。シシカバブを焼いてるウイグル族のおっちゃんに承諾を得て写真を撮る。

シシカバブのおっちゃん

ホテルに戻ってシャワーを浴びると黒い。
なにが黒いのかというと、自分の皮膚も日焼けして黒いが、砂利道を歩いたので砂が体中に付着していたためか、流れていく水が濁って黒いのだ。よく体を洗う。
着れる服を見ると、残りが一着しかない。また洗濯しなければならないのかといやいやながら洗濯する。

8月20日

朝7時に起きて、洗濯物を取り込んだりしていると8時になる。
8時にホテル前の約束だったから、フロント前で待つ。5分ほどしておっさん達と昨日の日本の方が車でやってきた。早速、車に乗り込む。

みんなで朝食をとることになった。
トマトとピーマンを唐辛子で炒めた物と、とぐろを巻いているようなパン。結構おいしかった。
初めに塩の湖であるアイディン湖に行くそうだ。アイディン湖への道は恐ろしく悪く、車は凸凹道を飛び跳ねるように走る。の体も上下に跳ね飛びながらも1時間程寝ていた(昨日なかなか寝付けなかったので)

アイディン湖までの道

目が覚めると、辺り一面すべて地平線で、我々の車しか走っていない道路が一直線にのびている。風景はトゲトゲの草がまばらに生えた砂地といったところか。
そのうち工場のようなものが見えてきた。おっさんの話によるとこれはアイディン湖で取れる塩の工場だという。この塩が中国全土に運ばれるらしい。

工場を過ぎると、道の側面に川(川というか溝)が見える。白い水が流れていると思ったら、よく見たら塩だ。塩分濃度が高すぎるため水面上が白い塩の板になっている。
日本では見られない物を見てしまったの心はうきうきしてくる。

塩の結晶

道がかなり細くなってきた。自動車一台やっと通れるぐらいだ。
そんな道にトラックが停車している。トラックが動いてくれないと先に進めない。
トラックはエンジンがなかなかかからない旧式だ(外にある穴に棒を差し込んでグルグル回すことによってやっとエンジンが始動するやつ)5分ぐらい手間取っていたがやっとエンジンがかかりようやく先に進める。

そこから200mぐらい行くと、なにやら白い湖が見えてくる。アイディン湖だ。
すごい!すべてが塩の塊だけのようにも見える。ためしに歩いてみると岸近くまでは歩けたのだが、途中で急にズボッといってズボンがよごれてしまった(^^;
これを見ておっさん「私の車汚れるからあなた、トランクに乗ってください」という(笑)
おっさん、なかなかシャレがわかるではないか、こりゃ一本とられたな・・・

アイディン塩湖

おっさんの話によると、冬は車で湖の上を走れ、秋は水がもっとたくさんある。今は夏だから干上がっているのだそうだ。
とりあえず、なめてみる。当たり前だがしょっぱい、海の水の10倍は辛い。でも塩としてはおいしいかもしれない。

アイディン湖の塩の水

おっさんは持ってきた水入れでアイディン湖の水を汲んでいる。どうするのか聞くと「この水は病気に効きます。私のおかさんが手が痛いといっているので持ってかえってあげます」という。

おもしろいのでもアイディン湖の水で手を洗ってみる。みるみるうちに水分が蒸発し、塩の結晶だけが残り、手が真っ白になってしまった。
塩湖に触れた手が乾いたら真っ白になった

帰りはまた同じ道だ。またも飛び跳ねながらも一時間ほど寝てしまう。
起きると周りがハミウリ畑の道だ。大量にハミウリを乗せているトラックの隣で停車する。
そのトラックの人たちとは知人のようで、おっさんは、自分の車のトランクに詰めるだけハミウリを詰め込んでいる。そしておっさんはその一つを切ってに食べさせてくれた。おいしい。そのままメロンの味だ。

そして車は再び出発、おっさんが「高昌故城はここから近いのでついでだからいってみますか?」と言うので、ついでだからいくことにする。
ここは玄奘がインドに仏典を求める途中、2ヶ月滞在したとこらしい。でも入り口から大体みえたし20元も払い入るのもいいやと思い。入り口から眺めるだけにした。

次はいよいよ火焔山だ。はこれを見にはるばる日本から来たようなものである。
火焔山に行く道の途中で煙突から火が出ている工場が見える。ここは石油が出るようだ。

そのうち火焔山がだんだん見えてきた。火焔山の地質は赤土、山肌はまるで炎がゆらめいているような削れ方をしているので、遠くから見ると本当に燃えさかる山のようだ。
火焔山

火焔山の横は渓谷になっていて意外にも川が流れている。それはすばらしく美しい風景で、自然の壮大さを教えてくれる。
火焔山のそばの川

車は火焔山にある、ベゼクリク千仏洞に到着。
そこは駱駝で火焔山の上の方まで上れるのだが、おっさんが「ここの駱駝に乗ると200元もぼられるからよした方がいい」と言うので写真を撮るだけにした。

ぼられる駱駝

おっさんたちは外で待って、我々だけ、入場券を購入してベゼクリク千仏洞を見に行く。
ここは6世紀に岩肌を削って作った石窟だが、ほとんどがイスラム教の浸透とともに破壊されるか、外国人探検家によって無惨にも剥ぎ取られてしまっていて、洞窟内部に入ってもほとんど何もない。非常に残念だ。

ベゼクリク千仏洞 上から外に出るとおっさん達がすでに車に乗って待っていた。
これで観光がすべて終わったわけだが、最後に一番火焔山が綺麗に見えるところにも連れて行ってもらって写真を撮ってもらい、トルファン中心街に帰り始める。
ベゼクリク千仏洞 横から

車を走らせていると信じられないことが起こる。ものすごく貴重な体験だ。

おっさんが突然「あれを見ろ!」というので、窓越しに見ると、なんと!竜巻のようなものが迫ってきているではないか。
すごいスピードで一瞬にして追いつかれ、車が砂塵につつまれる。
これはテレビでもあまり見たことがないサンドストーム(砂嵐)だ。

砂嵐の真っただ中

これは本当にすごい。1メートル先が全くみえなくなり、砂が雨のようにフロントガラスを叩きつける。道路脇の砂が、まるで川の水のように飛ばされ流されていることから見ても、外の風力は相当な物だろう。
砂嵐で前が見えない

やがて、5分程で砂嵐が過ぎ去ると今度は雨が降り始める。
年間降水量が20㎜しかないトルファンで雨を見られるなど、信じられない! 
おっさんたちも雨が降るのはめずらしいらしく、車から手を出してすごく喜んでいる。おかげで後ろの席にいたまでもびしょ濡れだ。
雨は5分程でやみ、濡れていた道も一瞬で乾く。

ほどなく、中心街に着くとおっさんが「昼飯食べますか?」と誘ってきたのでみなで飯を食う。
は餃子を食った。トルファンの餃子は肉がほとんど入ってなく、菜っぱのような具がほとんどだ。なかなかうまいが、量が多すぎてすべて平らげることはできなかった。

おっさんにこれで三度も飯をおごってもらったことになる。
最後にホテルに戻り、約束通り300元(4500円)を払った後、気持ちとして10元(150円)も渡す。そしたら、お返しにとハミウリを2個もくれた。

それでおっさん達と別れる。別れ際に「今からピチャン砂漠どうですか?夜の星がすごく綺麗です」と誘われたが、そこは断っておく。
結果的にかなり満足なツアーだった。飯はおごってもらって、火焔山もみれて砂嵐も体験した。300元でも決して高くないと思う

部屋に戻ってもまだ14時半だ。でも疲れていたのか、いつの間にやら寝てしまう。
気がつくと、19時になってる。腹が減りすぎで起きたようだ。グーグー腹の虫が騒ぐので、昨日と同じ屋台に行くと、 また昨日と同じ出店のおっさんに声をかけられたので、ここで食べることにする。
今日はシシカバブと冷麺みたいなやつとビールだ。

またもや13元(195円)だ。金を渡すとき違う出店のおばちゃんが「13元?ふふふ」と笑いよった。
もしかして、はふっかけられているのか?
中国は元々安いから、ふっかけられているのか、いないのかの判断が付けづらい(^^;

帰り際におっさんから貰ったハミウリを切るためのウイグルナイフを探しながら帰ったのだが、売ってなかったのであきらめて明日、探すことにする。

8月21日

今日はトルファン博物館に行く。入場料は20元だ。
そんなにたいしたものはないが、トルファンから出土した恐竜の化石などはなかなか楽しめた。そのあと、高昌公園に行ってみるが、入場料をとるみたいだからやめる。
いきなり行くところがなくなったので、そこらの日陰でぼーーと過ごす。お腹が空いたから、飯を食べれるところを探すことにする。

まだ行っていなかった商店街をぶらつく。ぶらついているとうまい具合にウイグルナイフが売っているのを発見。一つ気に入ったやつがあったので、40元(600円)を35元(525円)にまけさせて購入。
ソフトクリームが売っていたのでおいしそうだから買う。5角(7.5円)だ。安いけどあまりおいしくなかった。残念だ。
その後、ウイグル帽を売り歩いているおっちゃんに声をかけられ、20元(300円)を15元(195円)にまけさせて購入。
そろそろ飯にしようと、ところてんを麺にしたような物を食べる。2元(30円)だ。10歳ぐらいの女の子が作ってくれた。そんなにおいしいものではない。

帰り際にお菓子を購入してホテルに戻る。部屋にはいるとまだ掃除されていなかった。実はこのホテル、掃除がかなり適当でシーツは変えないし、タオル類も変えなくて昨日使ったやつをたたんでくれるだけ。

ウイグルナイフを手に入れたので、早速使ってハミウリを食べる。
一人では多すぎる量だ。お腹が一杯になる。
ドアをノックする音が聞こえたので返事をすると、服務員が部屋の掃除をさせてほしいようだったが、がいたのであきらめたようだ。

北京時間の午後7時になったので夕飯を食べに行く。まだ早いのか、いつもの出店はない。
周りをブラブラ歩いたが、食べるところがない。しかたなく、高いけど自分のホテルのレストランに行き、麻婆豆腐、羊の肉と麺を炒めたもの、シシカバブとビールをたのむ。正直どれもおいしくない。
麻婆豆腐なんぞ犯罪的まずさで、フライパンの焦げた味がする。こんな不味くて29元(435円)もとられた。おもいっきり残してやった。ここの店にはもう一生行くことはないだろう。

深夜2時ごろ、寝付けないので窓から外を見ると、すごく星が綺麗にみえる。
そりゃぁもぅ、雲一つない空に澄んだ空気だから当たり前。去年、大西洋上で見た怖いくらいの星空を彷彿させてくれる。

ついうれしくなったので、外に出て見ることにする。外に出ると意外なことに昼間ぐらい人がいた。やはりここの人は夜型の生活体系をとってるようだ。
おもしろいのは、ベットを外に出して寝ている人がちらほらいたこと。そういえば、この国は蚊がいないのです(蠅はたくさんいるが)

残念なことに中心街では街灯の光が強くて星がよく見えなかったので、町はずれの方へ向かっていくことにする。
結構歩いたらいつの間にかウイグル族住居まで来ていた。だがまだ、空は中心街の街灯の光が届いていて星が見えづらい(真っ暗だったらもっと綺麗に見えるはずなんだけど)。
本当はもうちょっと行きたかったのだが、空は明るいのだが、ウイグル住居内は外灯がないので真っ暗だ。ライトも持ってきてないし、これ以上いくのは危険な感じがしたのでホテルに戻る。

明日、またウイグル民族の住居をぶらぶら練り歩くのも良いかな。

8月22日

今日は朝からダラダラしている。本当にやることないんだからしょうがない。ベットでゴロゴロしながら、言語の壁のため、ほとんど理解できないTVをボーっと見る。
昼時になったし飯でも食いに行くかと思い、出かける。外に出るといつものことだが恐ろしく暑い。雲一つない青空だ。太陽光線が強いので日向と日陰の温度差はすごい。

小綺麗なレストランを見つけたのでそこで食べることにする。
相変わらずメニューが読めない。ウエイトレスに身振り手振りで教えてもらって、チャーハンと砂鍋をたのむ。

30分ぐらい待たされ、やっときたのは3合ぐらいはあろうかという大盛りチャーハンだ。
なんとか半分ぐらいは食べたが、「もう砂鍋いらないや」というほど腹がいっぱいになってしまったところに、砂鍋がくる。
もうげんなりだったが、いい匂いがするので一口食べてみると、うまい! むちゃくちゃうんまいではないか! 中国に来てから食べた料理で一番おいしいぞ。
石の鍋に豆腐、野菜、キノコ、エビ、タコ、マカロニのような麺が入っていて、スープもうんまい。お腹一杯だったくせに全部平らげてしまった。これだけおいしくて全部で13元(195円)なんだから大満足だった。
夕飯もここにしようと誓い店を出る。

そういえば、中国元が残り少なくなってきたことを思い出したので、中国銀行で両替しようと、いってみるが閉まっていたのであきらめる。

明日はウルムチに戻る予定なので、バスのチケットを買いにバス停へ行く。
窓口に女性の方いたので、そちらの方に聞いてみるとうまい具合に英語がしゃべれる人で「当日券しか販売しておりませんので、明日9時半にきてください」といわれる。
納得してバス停を出た時、その9時半は北京時間の9時半なのか、ウイグル時間なのかがわからないではないか。戻って聞いてみると北京時間だということだった。

ついでだから近くのお店でお菓子を購入して、飲み物は出店の冷えたやつの方がいいのでそこで買う。
この出店のおばちゃんは昨日もがここで買ったのを覚えていてくれた。
おもしろいおばちゃんだ、が「謝謝」と言うと、日本語で「どういたしまして」と返してきた。
本当にトルファンは良いところだ。素朴で親切で愛想の良い人が多い。

ホテルに帰り、汗がダラダラ出ていたので、風呂に入り、部屋でくつろぐ。
なんか心なしか喉が痛い。そういえば体もだるい。もしかして風邪を引いたのかもしれない。
大事をとって寝ることにする。

目が覚めると服務員が部屋にちょうど入ってきたところだった。どうも部屋の掃除がしたいらしい。
は「今日は掃除しなくていいから」と日本語で言ったのに、ちゃんと伝わったようでそのまま出ていった。少し眠ったためか、体の調子はちょっと良くなった気がする。

もう午後8時なので夕飯を食べに昼にいったレストランに行く。
が昼間来たことを覚えていてくれたらしく、同じかわいいウエイトレスが相手をしてくれる(トルファンは複雑に混ざり合った血のためか、美形が非常に多い)
適当に刀削麺(小麦粉の練った物を、彫刻刀のようなもので削った麺)と薄皮包子、なんちゃら餅(名前忘れた)というのをたのむ。

腹を減らしながら外を眺めて待っていると、最初にきたのはなぜかパンだった。餅だと思っていたのは実はパンのことのようだ。でもおいしく、菓子パンみたいでなかなかいける。

次にきたのは刀削麺、これは汁が真っ赤で見るからに辛そうだ。食べてみると麺はまるっきりうどんの味だが、これが辛いのなんのって。食べるとき汁が飛び跳ね、目に入って目まで辛かった。
刀削麺最後にきたのは薄皮包子。見た目は餃子なのだが中の具が羊の肉とタマネギだ。それにの大っ嫌いな八角が満遍なく振りかけられていてどうしようも手が出せない。もう匂いでだめだった。10個あった内の2個までは我慢して食べたのだが、これ以上食べるともどしそうだったので、料理人に申し訳なく思いながら店をでる。

ホテルに戻ると、やはり体の調子が良くない。どうも喉風邪を引いているようだ。薬を飲み養生する。